2020年12月アーカイブ

 私の朝のテーマは「浄化」です。私は、とても怠け者なので常に浄化しておかないとどんどんおかしなことをし出します(笑)。

 朝のおつとめをする(神棚等拝礼、般若心経・教育勅語・大祓詞唱和など)、ブログを書く、手紙を書く、スケジュール整理をする(これが最優先。これが乱れると仕事にならない)がうまくできた時には、とてもよい一日になります。

掃けば散り 払えばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も 己が心も

 まさに、そうですね。

 毎日とはいきませんが、シリーズで道元の和歌を朝の習慣の人とにします。和歌はいいですね。小学校から英語をなどというおよそ国家破壊の恐ろしいことをやるのではなく、子供たちに和歌を教えればいい。

 さて、はじまりはじまり。

 今日は、最初なので、もっとも有名な道元の和歌を紹介します。これはさすがに解説はいらないですよね。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
 前回は、一条兼良が女性を賛美したことを申し上げました。兼良は、我が國の文かは「やはらかさ(やわらかさ)」にある主張したかったのです。

 我が國は「和國」とも言います。和はやわらかいという意味です。人と人とを対立させ戦わせるのではなく、温かく包み込み、結び合わせる。それが和歌の道でした。和歌の美徳を体現した人が政治家や官僚やメディアになるべきですね。奪い合って足りなくした國ではなく、分け合って余らせてきた國です。

 これは古代からの我が國の在り方です。縄文時代の一万年間は、我が國には、退陣用の武器はありませんでした。支那大陸で動乱があり、漢帝國ができたあたりから、おそらく、支那大陸の人間が我が國にも攻めてきたのでしょう。武器を創り始めました。それが弥生時代です。稲作が大陸から伝わったのが弥生時代ではありません。稲作はもう1万年以上も前から我が國でやっていました。鳥濱貝塚や丸山遺跡をみるとわかりますね。むしろ稲作は我が國から大陸に伝えました。これは考古学上も証明されています。我が國のアホな歴史学会が認めたくないだけです。

 この「やはらかさ」は天照大神、素戔嗚命、月読命が誕生した話を見てもわかります。明日書きますね。

 では、本文です。第十九帖 薄雲 うすぐも です。
 明日から、七十二候 冬至 末候 雪下出麦 ゆきわたりてむぎのびる です。

 雪の下で麦が芽をだす頃です。浮き上がった芽を踏む「麦踏み」は日本独特の風習です。

麦踏 画像 に対する画像結果

 福岡県遠賀郡芦屋町の紹介をしています。小学校五年生後半から中学校三年間と高校浪人した1年間過ごした街です。あまり好きな街ではありませんでしたが、ああいう街(いずれ書きます)で過ごしたことは私の人生に大きなプラスになりました。前にも書きましたが

力なき正義は正義にあらず

という価値観を教えてくれた街です。

 とにかく、筑豊炭田から掘られた石炭を遠賀川で「川ひらた」で運搬する最終目的地です。遠賀川の河口から各地に運ばれます。なので、それなりに栄えた街なのでしょう。歴史もすごいですよ。岡湊神社があります。これについては次回にしようかなあ。神武天皇とはゆかりが深い。

 そんな街がなぜ衰退したか。鉄道(鹿児島本線)を通す時に、住民が反対したからです。通していたら観光地として(海も近いし、食べ物美味しいし、歴史も深いし、和菓子もあるし・・)、きっと反映したでしょう。時々の判断って大切ですね。

 今日は、そんな芦屋町の伝統の一つである芦屋釜(あしやがま)を紹介します。芦屋釜のHPからです。
 
 芦屋釜もなかというお菓子もあります。

あしや釜本舗 -

あしや釜本舗 -

 この隣にたこ焼き屋さんがありました。優しいおばちゃんがやっていました。おいしかったなあ。よく行きました(かなりすごいエピソードがあるのでまた今度)。
 昨日の付け加えに(詳しくは解説をしませんが)以下のものがあります。

 軽減税率の導入によって、201910月から区分記載・区分経理がルール化されています。区分記載・区分経理とは、8%と10%の2つの税率を分けて請求書等を作成したり、帳簿を記載したりするルールのことで、これには非常に複雑な経理を必要とします。インボイス制度導入後は請求書の区分けをしなければならないのでもっと複雑になります。
 
 さらに、事業者の立場からすると、インボイス制度に準じた体制を整えるために追加コストが発生します。例えば、ソフトウエアの購入・入れ替えが必要となるケース、これまでの業務フローを見直すケースも出てくることでしょう。特に、インボイス(適格請求書等)を受け取る側は、対象品目か否かの判断に加えて、相手先が適格請求書発行事業者か否かによって、消費税の控除ロジックを区別する必要が生じます。

 インボイス制度が導入される頃には、クラウド会計システムがより多機能化していて、上述の不安は杞憂に終わることを期待しますが、いずれにしても、情報収集を継続する必要がありそうです。

 さて、最終回。



 私たちの時代と今の時代で習っている歴史は、どんどんひどくなっています。例えば「任那 みまな(日本府)」を今は、教えません。朝鮮半島の南は日本だったのです。もちろん国家安全保障上の問題です。古代から平和國家だったわが国は、いつもいつも支那大陸と朝鮮半島問題に頭を痛めます。だから安全保障問題に対する正常な感覚を持っていました。今の情けない我が政府とは大違いです。

知っていますか、任那(みまな)日本府

任那日本府 画像 に対する画像結果

 支那事変という言葉もそうです。今は、日中戦争と教えます。わが國の歴史学会はくるっていますね。当時の支那大陸には政権当事者など不在です。なので、宣戦布告をする相手がいません。だから支那事変が正確な言い方です。だけど、あれを戦争と言わなければ困る支那共産党は「弐中戦争」という言葉を押し付け、そして、それを唯々諾々と歴史学会と政府が受け入れています。

 名前などの読み方もそうです。朴正熙は「ボクセイキ」でした。金日正は「きんにちせい」でした。それを支那共産党や朝鮮半島から文句が来て、あちらの発音になってしまいました。私は、普段から正しい発音で読んでいるので、今の呼び方はわかりませんが。

 事実は事実できちんとしたことを把握しましょう。太平洋戦争なんて言葉はありませんでした。無理やり呼ばされています。大東亜戦争です。第一次世界大戦なんて呼んでいるのは日本だけです。欧米では「大戦争(Great War」または「世界大戦(World War)」です。当時の日本は「欧州大戦」と呼んでいました。 そろそろ目を覚ましましょう。


天皇陛下、元日にビデオメッセージ 国民向け、一般参賀中止で―宮内庁

 昨日ネットのニュースでこんなものが流れてきました。内容は別にいいです。ただし、腐敗したメディアの言葉の使い方には腹が立って仕方がありません。

 陛下の御言葉をビデオメッセージなどと。わが國の歴史と國体を歪める所業です。それにこれに気づかない國民のなんと多いことか。愚か極まりありません。

玉音放送

です。これが日本語です。



 静岡の大先輩から大好物を送っていただきました。静岡県静岡市清水区の足平(あしへい)蒲鉾。なんと文久三年(1863年)創業157年です。おいしいですよね~。これ!!!

 足平さんのホームページに語ってもらいましょう。

 つづけますね。とにかく言いたいのは、課税売上額(消費税をカウントしない年間の売上高)が1,000万円以下の事業者は、その事業者が発行する請求書や領収書は取引先に受け付けられなくなるということです。それを回避するには免税業者が、消費税課税業者として申請し、消費税を払うしかないのです。つまり、利益が落ちるということです。

インボイス制度が導入されると、次のような変化が起こると考えられます。


インボイス制度を理解する上で欠かせない「仕入税額控除」と「免税事業者」とは

インボイス制度を理解するためには、現状の消費税の仕組みを理解することが必要です。前述したとおり、インボイス制度の導入は益税を解消することが目的です(では免税業者を最初からつくるな)。益税が発生するメカニズムとして、「仕入税額控除」と「免税事業者」を正しく理解することが求められます。


 内容は知っていましたがネットから拾った情報です。

 1990年代半ばの話しです。ルワンダ内戦で難民が出ると、外務省は、その救済に自衛隊の派遣を要請しました。そこでは、難民キャンプにも武装ゲリラが出没し、エイズも流行中だったのです。危険この上ない状況で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていました。そのような中、米国が友好国日本に派遣を求めてきたのです。それには、安保理常任理事国入りという人参のエサが鼻先にぶら下げ

 政府・外務省は、自衛隊派遣を決定します。でも、隊員は、小銃のほか、機関銃一丁と、ほとんど丸腰状態で難民キャンプに派遣されました。どういうことかわかりますか?誰か隊員が死んでくれでもしたら、アメリカに恩を売ることができるというのが外務省の考え方だったからです。

 間違えてはいけないのは、國と政府は違うということです。これを混同する人が多い。本来なら、天皇陛下というわが國の統治者がいて、陛下が選んだ人間が政府という国家運営をするという形ですが、今のわが國は、無責任な国民の民主主義で選ばれた為政者が國家運営をしています。いえ、もっと言えば、間違えた教育で良い成績を取った官僚がしています。


 この日本国は、和国とて、女の治め侍(はべ)るべき国なり。天照大神も女体にて渡らせ給ふ上、神功皇后と申し侍りしは、八幡台菩薩(応神天皇)の御母にて渡らせ給ふぞかし

 一条兼良が、日野富子(足利義政の妻)に献呈した「小夜寝覚(さよのねざめ)」という本には、「やはらか」に「なよび」た女性こそが、日本文化の裁量の美徳だと書かれています。

 さらにその本では、北条政子(源頼朝の妻:尼将軍)を称賛し、歴代の女帝はいずれも善政を施したと称えています。

 応仁の動乱などというわけのわからないことに世の中を投げ込んだ男たちの政治に対しての痛烈な皮肉です。

 私たちは、日野富子は応仁の乱を呼び込んだ悪女だと習ってきました。でも、同時代を生きた兼良は、元気物語の「雨夜の品定め」の結論を引用しながら、男であれ女であれ、「正直」で「道理をわきまえた人物が上に立って統治すべきだと考えました。合理主義者である兼良からすれば当然の考え方でしょう。

 女性だけをほめたたえているのではなく、女性原理を持った男性であればよいのだ。『源氏物語絵巻』などで描かれている光源氏が、なよなよとした女性的雰囲気を醸し出しているころを考えれば、我が国の統治者は、筋肉ムキムキの大将ではだめなんですね。

 歴代天皇陛下はたしかにそうです。これがシラスという国体なのでしょう。

 さて、本文です。

 忘れないうちに書いておきます。今日の讀賣新聞朝刊の記事。

変異種
 増殖によって遺伝子情報が変異したウィルス。大半の変異はウィルスの感染力や重症度に影響しない。英国で見つかった新型コロナウィルスの変異種は、表面にある突起の先端部の形が変わり、感染力が従来よりも最大70%増した可能性がある。ただし、重症化しやすいとの報告はなく、ワクチンの効果が減るとのデータはない。(記事はここまで)。

 新型コロナウィルスなんてたいしたことはないという人がたくさんいます(驚くことに医者も)。海堂尊のコロナの本もたいしたことなかったですね~。一気に海堂尊を読む気がしなくなりました。

 そんなにたいしたことがないなら、こんなに世界が騒がない。かなり、今までのパンデミックの勉強をしましたが、こういう人たちは、それをしているのかなあ。

 今回の新型コロナウィルスの質が悪いのは、致死率が低いからウィルスが死ににくいこと。致死率が低いといつまでもウィルスが生き残り変異しやすいこと。感染力が上がると重症化率は変わらないかもしれないけど重症化数が上昇すること。

 人間が唯一克服していないのはウィルス。これを忘れないようにしないとね。
 現在、国民負担率は49.9%です。つまり、私たちが稼いだお金の半分を政府(國ではない)に吸い上げられています。財務省等は、この吸い上げたお金で自分たちの権力を維持する。ひどいものです。確かに政府の国家運営にはお金がかかります。でも、これはやりすぎ。

 私は税金等 国に吸い上げられるお金を罰金と呼んでいます(というかスタッフに教えてもらった)。働く罰金 所得税、買い物罰金 消費税・・・・・・枚挙に暇がありません。加えて、タックスオンタックスもあります。揮発油税は、ガソリンには承認価格のに53.8円/ℓの揮発油税がのっかっています。そしてその53.8円/ℓにも消費税がかかっています。

 理想的には楽市楽座です。無能な官僚たちがつくった補助金なんて不要です。消費化社会に補助金を出すんではなく、給料が増えてくれば自然とみんな子作りをします。消費税をゼロにしろって。

 旧ローマ帝国は税金収入は所得の10%でした。なぜそれが可能だったか。金持ちやリーダーになる人たちがうんと寄付をしていたからです。わが国では寄付税制の確立すると、財務省が税金を取れなくなるので嫌います。本当に愚かな官庁です。

 さて、またその罰金を強化する制度が2023から始まります。気を付けてください。特に、企業の方は。消費税非課税業者さんも要注意です。他社と取引ができなくなります。  
 福岡県遠賀郡芦屋町の紹介を何回かに分けて少し。

 今は、あまり知りませんが、昔はきれいなきれいな海岸がありました。玄界灘で荒い海です。海底がしょっちゅう変わります。だから危険な海であることには変わり有りませんが、私たちの小さいころは、海に行くのに親なんかついてきません(我が國経済の立て直しのため、親は子供を甘やかす余裕がなかった)。海パンをはいて、タオルを首に巻いてほぼ裸で海に泳ぎに行っていました。
 
 磯もありました。ここでは、貝を獲ったり、魚を釣ったり、潜ったりして遊びました。あと、キャンプ。この時はたくさんの親戚の人と行きました。

 映画「トラトラトラ(われ奇襲に成功せり)」という映画も芦屋で撮影されました。

映画トラトラトラ 画像 に対する画像結果

映画トラトラトラ 画像 に対する画像結果

映画トラトラトラ 画像 に対する画像結果

 今、こんな映画をつくったら、放映禁止でしょうね(笑)。
 出光興産㈱ 昭和三十三年入社組というのは、出光興産㈱の歴史の中でも優秀な方々の集まりでした。同期から何人も役員が出て、最高は副社長です。当時は、出光家関係以外の人はほとんど社長になれませんでしたから出光興産㈱の中では、その人は、位人臣を極めたと言っていいでしょう。

 その入社組がバリバリの頃、出光佐三店主と懇談をしたことがありました(テープで聞きました)。「組織はこうした方がいい」「マーケティングはこうした方がいい」「経理はこうあるべきだ」・・・。

 出光佐三店主は「お前らは出光の癌だ」と怒鳴りつけました。

 このテープを聞いたとき私は「何が悪いんだろう」と思いした。

 今ならわかりますね~。「一人一人が経営者であれ」と常々いて出光佐三店主はおしゃっていました。つまり、上記ビジネスモデルを仕事の中で考えるのは当然ですが、出光興産という会社の在り方を忘れてビジネスモデルを考えてはいけないということです。つまり

誰が正しいかではなく何が正しいか

 「お前たちの代で出光興産㈱はつぶれる」と怒鳴った佐三店主は、「店主室教育」を始めます。これが先日ここに書いた10年目前後の社員を四十日間仕事から離す教育です。出光興産㈱いや、日本の在り方を自らが研究する教育です。

 その中の一つが夜久先生の講義でした。すばらしい方なので、興味を持った私は、夜久先生の本でたくさん学びました。その一つが「白村江の戦い」です。
 明日から、七十二候 次候 麋角解 さわしかのつのおつる です。

 鹿の角が落ちる頃です。「麋」は大鹿のことで、古い角を落として生え変わります。

麋角解・おおしかのつのおつる(さわしかのつのおつる) - びお編集部 | びおの七十二候 | 住まいマガジン びお七十二候 | 第六十五候「麋角解 (さわしかのつのおつる)」 12/26~12/30頃

 

 メスの鹿は角が生えませんが、オスの鹿は一年に一度、角が根元から自然にポロっと取れて、春にはまた新しい角が生え始めます。
 
 「麋」とは、「なれしか」というトナカイの一種の大鹿、またはヘラジカのことだとされています。
 一条兼良は、なんとまあ、四人の妻妾のとの間に二十六人の子供に恵まれたそうです。一人の妻とはなんと十五人も生んでいます。

 兼良が四十五歳ぐらいを過ぎたころから、この一人の妻以外との子が次々と現れたそうです。さすが、五百年に一度の天才(笑:関係ないか)。

 最後の子はなんと兼良が七十五歳の時の子です。

 好色光源氏でさえ三人です(もっとも光源氏の後継者 息子の夕霧は十五、六人の子だくさんでした)。

 今日は人間くさい兼良の初回です。

 さて、本文。
 このタイトルに行き着くまでにかなり長い前置きが(笑)。

 かつての出光興産㈱は、十年目社員前後の人間を四十日間仕事から隔離しました。日本人教育をするんです。その四十日間は、仕事の話をすると「些事を言うな」と怒られます。十年目社員ですので、自分の仕事の自慢話をしたいことでたくさんです。

 出光は「立派な日本人を創ることが目的なんだ!」と。夜は、仕事から離された解放感で仲間と飲んでばかりでしたが(笑)。「店主室教育」と言います。これがなぜ始まったかはこのブログで後日紹介します。

 私たちの時に、その教育のカリキュラムで和歌の時間がありました。先生は夜久正雄先生です。先生のご著書「短歌のすすめ」は店主室教育が終わっても何度も何度も読みました。


夜久正雄先生
平成20年(2008年)3月19日 ご逝去 享年82歳 国文学者

先生のご著書である 白村江の戦い-七世紀・アジアの動乱-は、歴史に残る名著です。

 今は、二十四節気の冬至ですね。七十二候は、冬至 初候 乃東生 なつかれくさしょうず です。

 夏枯草が芽をだす頃です。夏至の「乃東枯」に対応し、うつぼ草を表しています。


 「乃東」とはウツボグサの古名です。ウツボグサは冬に芽を出し、5月〜7月頃に紫色の花を咲かせ、夏至のころに花穂(かすい)が黒ずみまるで枯れたように見えます。他の植物が夏の日差しを浴び、青々と繁っていく中ひっそりと枯れていく。昔の人はその様子に注目し、七十二候にその名前を残しました。
 中野信子さんの著書にペルソナがあります。
ペルソナ 脳に潜む闇 (講談社現代新書)
令和三年年間目標
手紙3600通(士魂商才、年賀状含む)
読書250冊
ブログ1200通

ルーティン(仕事の集中するので少なめに)
①私は毎朝 朝のおつとめをします(般若心経・教育勅語・大祓詞唱和、伊勢神宮・橿原神宮・明治神宮・宗像大社遥拝・神棚拝礼)
②瞑想3分
③メモ整理
④フリカレ整理

仕事目標(年度末に作成)



 一条兼良の源氏物語分類です。

 兼良は、四区分すれば五十四帖のすべが必ずどれかに該当するわけではなく、重複しないと考えました。

①その巻の和歌から選ばれた巻名
②その巻の散文(地の文)の言葉から選ばれた巻名
③その巻の和歌にも散文にもある言葉を用いた巻名
④その巻の和歌にも散文にもない言葉を用いた巻名

 たとえば、「桐壺」の巻は、「(更衣の)御局(みつぼね)は、桐壺なり」という地の文から付けられているので②です。
桐壺 画像 に対する画像結果


 「帚木(ははきぎ)」は、光源氏が空蝉(うつせみ)を詠み交わした和歌の言葉を使っています。

帚木の 心を知らで その原の 道にあやなく 惑ひぬるかな(光源氏)

数ならぬ 伏屋に 生(お)ふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる帚木(空蝉)

なので、①です。
帚木 画像 に対する画像結果


 夕顔の巻では、和歌にも地文にも夕顔という言葉が出てきます。だから③
夕顔 画像 に対する画像結果

 夢の浮橋は、和歌にも地文にも出てこないから④です。
夢の浮橋 画像 に対する画像結果


 なーるほどね。だから今の源氏物語解説本でも、この巻名は、和歌からとられているとか書いてあるんだ~。これってAIでもできませんよね(笑)。

 さて、本文

 「あおざくら」という漫画があります。防衛大学校の学生が成長していくドラマを漫画化しています。世の中も変わりましたね。私たちの若いころ「自衛隊」という言葉を使ったら眉を顰める人が大半でした。雲仙普賢岳の噴火の時に陸上自衛隊が災害派遣で雲仙に行きました。最初、土地の人は、彼らに筆舌に尽くしがたい冷たい仕打ちをしました(平成2年:1990年)。最初廃校を宿舎にしようとする計画でしたが、それも拒否しました。仕方がなく彼らはテントで過ごし災害復旧活動にあたりました。



 放水に戦車が投入されました。これがものすごい威力を発揮します。メディアは騒ぎました。なぜ、災害派遣に戦車が必要なんだ!と。いつの時代もメディアというのは愚かですね。

 献身的な働きに、その素晴らしさを住民たちは気づきます。隊員たちが帰途に着くときに垂れ幕が張られました。
自衛隊さんありがとう

 政府や官僚の努力ではありません。むしろ政府や官僚がどれほど愚かかはまた書きますね。

 それが漫画になる。少しずつまともな國になってきました。

 その「あおざくら」に載っていたシーンです。防衛外学校学生が外出の時に交通事故に遭った人を援けます。たまたまそこを通りかかった海上自衛隊の隊員(防衛大学校に教官をして赴任する途中だった)がそのあとを引継ぎ、この教官が防衛大学校に着いたときに救出にあたった二人の学生を呼びます。そのシーンです。
 弊社月刊誌 士魂商才第九十一号 を来週二十二日に発送します。巻頭言だけ掲載しますね。
 福岡県遠賀郡芦屋町に引っ越しました。ここで五年間過ごします。

芦屋町立芦屋小学校 小学校六年生
芦屋町立芦屋中学校 中学校三年間
高校浪人        一年間(なんと私は高校に落ちて高校に入る前に一年間高校進学科予備校に行きました。

 兵庫県芦屋市のような立派な街ではありません。もうほとんど・・・・。という街です。でも、貴重な体験となりました(笑)。あまり行きたくない街ですが(笑)。今はずいぶん平和な街になっているようです。

 いろいろな体験を思い出していきます。

 芦屋町には航空自衛隊芦屋基地があります。小学校六年生の時に、その基地に忍び込んでつかまった体験談をまずかきます。過去にも書きました。

 数年前に航空自衛隊芦屋基地航空祭の行ってきました。すぐ横にある小学校にそれこそ五十年以上振りに行ってきました。まだあったんですね。このマンホール。もちろん中は埋められています。


航空自衛隊芦屋基地 画像 に対する画像結果(今の画像です)
 源氏物語研究者の中で「雨夜の品定め」に最も敏感に反応したのが一条兼良でした。

 一条兼良の源氏物語解説の著書「花鳥余情」では、紫式部の分類好きと兼良の分類好きが呼応しています。俗にいう優秀な人って分類好きですよね(笑)。

 兼良は、紫式部の議論の組み立て(理論構成)をしっかりとそして見事に整理しています。

 兼良の整理好きは、源氏物語五十四帖の巻の名前についてもむけられました。第一帖「桐壺」から第五十四帖「夢浮橋」まではどういう基準で分類したのでしょうか?この分類は、私たち源氏物語の素人が知っていると源氏物語が読みやすくなります。つづく

 さて、本文。 
 脳は人を散漫にさせようとするのに、集中しなければ物事を成就させることができない。

 中野信子先生は、「では、どうすればよいか」とおっしゃっているのでしょうか?

「散漫になりなさいという脳の『警報装置』を作動せる要因をできるだけ排除する」こと。

1.集中を乱す敵を視界から排除
2.いい集中空間を演出する
3.キリが悪いところでやめる―ツァイガルニク効果の応用
4.スリープ状態をつくる-バックグラウンドで脳を働かせる
5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入る
6.あえて人目につく場所で作業してみる
7.集中できないのはセロトニン不足かもしれない

 今回は、7.集中できないのはセロトニン不足かもしれない の二回目です。


 静岡県駿東郡裾野町(現 裾野市) 裾野町立裾野東小学校五年生になります。

 五年生の担任は、土屋先生。ものすごく いびられた 先生です。私は、三年生の斎藤先生(女性)にも四年生の高橋先生にもとてもかわいがってもらいました(もちどん厳しさも)。なので、それが気に食わなかったのでしょう。びっくりするぐらい私を目の敵にしてきました。悪い思い出ってあまり覚えていないもものですね(笑)。

 父の仕事と母の病気療養(筆舌に尽くしがたい姑(+伯母)の嫁いじめで身体が壊れてしまいました)の都合で、母の郷里福岡県遠賀郡芦屋町に引っ越すことになりました。横浜に住む伯母夫妻からしたら九州なんて言うのは海の向こうのド田舎間隔です。「そんなところに引っ越して子供たちの将来は大丈夫なのか」というひどい発言まで出てきていまzた。祖母(姑)は、面白くありませんがついてくるしかありません。まあ、そんなこんなで私の人生で最も面白くない年のひとつです。

 すみません。前回、五年生の一学期に転校と言いましたが、記憶違いです。五年生はまるまる裾野にいました。

 五年生の終わる春休み頃、大阪万博がありました。


 源氏物語五十四帖のうち 第二帖は「帚木 ははきぎ」です。有名な「雨夜の品定め」がある帖です。

 「品」=「ランク」です。男たちが理想の女性論を繰り広げます。妻とすべき女性の優劣を決定する鑑定会です。なんと夜を徹して行われます。

 最初に源氏物語を読んだとき、「雨夜の品定め」が何を意味するかがわかりませんでした。三度目かに読んだときに、「あ~、そうか。光源氏が好きになる女性の分類をしているんだ」と思いました。

 紫式部は、女性を「上(かみ)の品」「中(なか)の品」「下(しも)の品」の三つの分類をしています。この分類基準には二つあり、身分の上中下と、心も持ち方の上中下です。

 源氏物語研究者の中で「雨夜の品定め」に最も敏感に反応したのが一条兼良です。 つづく。

 本文です。少し戻って第十八帖「松風 まつかぜ」です。

 脳は人を散漫にさせようとするのに、集中しなければ物事を成就させることができない。

 中野信子先生は、「では、どうすればよいか」とおっしゃっているのでしょうか?

「散漫になりなさいという脳の『警報装置』を作動せる要因をできるだけ排除する」こと。

1.集中を乱す敵を視界から排除
2.いい集中空間を演出する
3.キリが悪いところでやめる―ツァイガルニク効果の応用
4.スリープ状態をつくる-バックグラウンドで脳を働かせる
5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入る
6.あえて人目につく場所で作業してみる
7.集中できないのはセロトニン不足かもしれない

 今回は、7.集中できないのはセロトニン不足かもしれない

 です。 二回に分けて書きます。



 昨日から、七十二候 大雪 末候 鱖魚群 さけのうおむらがる です。

 鮭が群がって川を上る頃です。川で生まれた鮭は、海を回遊し故郷の川へ帰ります。


鮭の川登 画像 に対する画像結果

 帯広で仕事があったとき、「時知らず、食いてえ」と、帯広の方が言いました。夏でした。何のことかさっぱりわかりませんでした。 その後 時知らず=鮭だと知りましたが、「鮭って冬だよな~」と思いました。
何でもかんでも自衛隊???①

 自衛隊の看護師は優秀です(この本を読んだら涙が出ます)。

 もちろん軍事訓練も受けていますし、防疫訓練も。この新型コロナウィルスパンデミック初期のころ、自衛隊中央病院がなければ医療崩壊が起きたと言われています。彼ら・彼女らの仕事は「戦いに勝つ」ことです。だからと言って・・・。都道府県が自衛隊に看護師派遣を要請しました。自衛隊中央病院・防衛医科大学病院をはじめ各地の自衛隊病院でも、人が余っているわけではありません。なんでもかんでも困ったら自衛隊。だけど、民間病院は訓練を受けていません。つまり、命令のもと何が何でも任務を全うするという訓練です。そんな中に自衛隊看護師が入って、誰が指揮を執るのですか?これをやるなら、自衛隊の指揮官(たとえば各自衛隊病院院長(もちろん自衛官です)が指揮を執り、要請した都道府県及び病院はその指揮下に入らなければ機能しません。

 新型コロナウィルスパンデミックの初期のころもそうです。厚生労働省などという間抜けな部署に指揮をとらせたのが失敗です。官僚が指揮をとれるはずがない。自衛隊中央病院が司令塔になり、その下に厚生労働省が入る。そして、絶対に指揮官の命令に厚生労働省は逆らわない。これをやればこのパニックはなかったでしょう。

 小学校三年生から五年生一学期まで過ごした静岡県駿東郡裾野町(現 裾野市)の自然を紹介しますね。ネットから画像を拾いますが、現在の物なので私が過ごした50年以上前のものが検索できるかどうかわかりませんが。

 何といっても富士山。これが毎日観られるんです。真冬は雪が本当に下まできます。静岡側から観ると富士山はこんな姿です。山梨側から観るともっとごつごつしています。


 源氏物語を悪文という人がたくさんいます。あの、森鴎外でさえ。また、倉山満氏のようにあれは藤原道長の時代の宮廷の出来事だと一刀両断にする人がいます。(笑)

 源氏物語の魅力がわかっていませんねぇ。それに読んでいないと思います。紫式部の謎かけにも気づいていない。

 そんなに悪いものが千年も続くはずがない。

 まあ、読みにくいのは事実ですし、人間がたくさんでてくるのでその相関図もなかなか理解できません。私も、五回目(それもいろいろな訳文を読んで)で、はじめてなんとな理解できるようになりました。だから、常に接してないと忘れてしまいます。でも、この「常に接する」ことが「これほど楽しい古典はありません」。

 一条兼良は、そんな悪文説に対してこう言います。

「その難解さに戸惑うのではなく、しっかりと見極めようとした瞬間に、源氏物語は「悪文」ではなくなる。悪文だと思う人間は、大きな文脈を把握できないだけだ」と。

 確かにそうですね。私も最初読んだときは、「なんでこんなに女の人がたくさん出てくるの?」と誰が誰かが理解できませんでした。でも、ああ、結局桐壺―藤壺―紫の上の中心ラインが大切なんだなあと朧気に理解したときに、読みやすくなりました。まあ、私ごときが言うことではありませんが、とにかく一生 源氏物語を楽しみたい。

 さて、本文です。第二十三帖「初音 はつね」です。
 いつぐらいの時代だったかなあ。我が國 日本が「一億総中流社会」というおよそ民主主義の理想と呼ばれる社会を創り上げました。

 欧米は悔しくて仕方がありません。だから、日本を攻撃し始めました。「ワーカホリック」とか「日本人はウサギ小屋に住んでいる」とか。私は「ほっとけ」と思いした。

 欧米やロシアや支那は、「奪い合って足りなくした国」です。世界で唯一歴史が連続した人間社会の后の國 我が國 日本は「分け合って余らせてきた国」です。

 ところがメディアは、「日本はおかしい」とやりました。相変わらずメディアはおろかなる国家破壊者ですね。文部省(当時)は、「ゆとり教育」なる愚策を展開しました。私は官僚が大嫌いですが、特に厚生労働省と文部省は国家破壊者です。

 ワーカホリックではありません。ワークエンゲイジメントです。
 脳は人を散漫にさせようとするのに、集中しなければ物事を成就させることができない。

 中野信子先生は、「では、どうすればよいか」とおっしゃっているのでしょうか?

「散漫になりなさいという脳の『警報装置』を作動せる要因をできるだけ排除する」こと。

1.集中を乱す敵を視界から排除
2.いい集中空間を演出する
3.キリが悪いところでやめる―ツァイガルニク効果の応用
4.スリープ状態をつくる-バックグラウンドで脳を働かせる
5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入る
6.あえて人目につく場所で作業してみる
7.集中できないのはセロトニン不足かもしれない

 今回は、6.あえて人目につく場所で作業してみる。

 です。


 一条兼良は、一切謙遜をしませんでした。菅原道真に対して次の三つの点で自分の方が優れていると言いました。んじゃあ、五百年+五百年で千年に一人に天才じゃん(笑)。

一、血統の良さ:まあ、五摂家の生まれですから当然ですね。
二、身分:自分は関白まで上り詰めたけど道真は右大臣やんと
三、知識量:道真は、道真が死んだあと五百年の出来事を知らんやんと。当たり前ですが。

 ったく、子供みたいです。まあ、和歌の聖典古今和歌集が完成したのは905年。道真の没後です。伊勢物語が十世紀の後半。源氏物語が1008年。道真は係りようがありません。

 いんねんと言えばいんねん。まあ、いいや(笑)。つづく

 本文です。

 一年、時間を巻き戻します。今日は愚痴(笑)。やられた方は忘れないのですね。気を付けないと(笑)。

 小学校三年生の一学期の終業式に転校しました。なので、友達がいない夏休みは退屈でしかたがありあませんでした。

 なので、二学期になって、クラスでたくさんの友達ができた時はうれしくてたまりませんでした。

 隣のクラスの担任が芹沢先生。とてもきれいな人でした(女性)。
 
 ある日の昼休みに、クラスのみんなと縄跳びをしていました。二人が長い縄跳びを持ってみんなが順番に飛ぶやつです。

 隣のクラスは、芹沢先生と鬼ごっこ。
 いつも、素敵な贈答品 お酒を 作ってくれる、福岡県糸島市の「私のお酒」さんが、今回、福岡でしか手に入らない日本酒 残心を紹介してくれました。クライアントさんを中心に贈りました。みなさん、絶賛です。とにかくうまいんです。

 さて、その贈答品のお酒の中に私の手紙を入れてもらいました。その手紙紹介します。
 そういえば今日はバッテリーの日ですね。12月12日。1番:ピッチャー、2番:バッターなので、1212でバッテリーの日。今でも、スタンドではバッテリーの日を活用して販売促進やっているのかな? ちょうどこの寒くなる季節では、バッテリーのアドバイスをすることが大切です。

 さて、二十四節気は大雪 たいせつ です。

 山岳 ばかりでなく 平野 にも雪が降り積もる 季節 ということからついた呼び名です。

 七十二候は、大雪 次候 熊蟄穴です。

 熊が穴に入って冬ごもりする頃です。何も食べずに過ごすため、秋に食いだめをします。

大雪イメージ

 寒くなりましたね~。新型コロナウィルスが猛威を振るっていますが、みんなで知恵を出しましょう。

 この時期の和菓子はなにかなあ?
 静岡県駿東郡裾野町(現裾野市)で小学校四年生になりました。すばらしい先生との出会いがありました。

 私は、学校人生において、二人の素晴らしい先生と出会っています。私の人生を修正してくれた方々です。このお二人がいなかったら、私の人生はかなり曲がったものになっていたでしょう。

 高橋一三先生。

 私が社会人になってしばらくしたときのことです。私のいとこ姉弟が御殿場に住んでいたことがありました。高橋一三先生は御殿場の方です(実家は農業をやられていた)。

 なにかいとこたちが、高橋先生の田んぼだか畑だかで、(当時の子供のころに)いたずらをしていたら(もちろん二人は高橋先生のことは知らない)、高橋先生が来て、つかまったそうです(笑)。

髙「名前を名乗りなさい」
二「宝徳といいます」

となったときに、「何、宝徳? 君たちは宝徳健の親戚か何かか?」「はい、いとこです」となって、無罪放免(笑)。 あのときに、連絡を取っていたら今でも(ご存命かどうかは存じ上げていませんが)、手紙のやり取りなどが続いていたのになあ。

 閑話休題。私は、調子に乗ると、自分の悪い癖が出ることがあります。四年生になったばかりのころ、この症状が出ていました。
 一条兼良の合理性は源氏物語研究にも応用されました。

 伊勢物語に「みやび」という言葉が出てきます。兼良は「みやび」には「みやびやかな雰囲気」と「異性を好きになること」の二通りの意味があって、源氏物語では前者、伊勢物語では後者の意味でつかわれることが多いと指摘しています。

 彼のこの合理性、理論的推論の基礎となるのは、知識です。一条兼良は、万巻の書を読んだ知識人・教養人でした。「十年に一人の逸材」ならごまんといます。「百年に一人の天才」はたまにみます。一条兼良は、「五百年に一人天才」と絶賛されます。菅原道真も「五百年に一人の天才」と言われていますが、一条兼良が生まれた1402年は、菅原道真の五百回忌の年に当たります。

 すごいですね。さて、一条兼良は菅原道真をどう見ていたのでしょうか。 つづく

 さて、本文です。
 かつて(今は少なくなった)、サッカーの試合を見ていたら、サポーターが日章旗(日の丸)の赤いところに字を書いて応援していました。

 オリンピックを見ていたら内村航平の母親が、頭に日章旗の鉢巻をして、赤いところに「航平」と書いていました。お前の息子は神より偉いんかい(笑)(笑)(笑)

 室伏広治が、どこかの学校で感謝状やなんやらをもらった新聞記事に、その学校の生徒から日章旗の寄せ書きをもらっていました。赤いところに字が書いてありました。もらう方ももらう方ですが、それを注意しなかった先生も馬鹿です。

 海外なら国旗侮辱罪です。教育の荒廃。

 そんな教育は受けてこなかったという日本人もたくさんいますが、教育を受ける受けないの問題ではありません。祖国愛の欠如です。太陽神の顔に絵をかくな。

 先日こんな記事がありました。アメリカ兵に略奪されていたのが帰ってきたのではないかと思いますが、大東亜戦争での日本兵の寄せ書きの写真が載っていました。 アメリカ人の保存が悪かったのでしょう。赤いところが黒ずんでいますが、何も書かれていません。これが本来の日章旗への寄せ書きです。



 脳は人を散漫にさせようとするのに、集中しなければ物事を成就させることができない。

 中野信子先生は、「では、どうすればよいか」とおっしゃっているのでしょうか?

「散漫になりなさいという脳の『警報装置』を作動せる要因をできるだけ排除する」こと。

1.集中を乱す敵を視界から排除
2.いい集中空間を演出する
3.キリが悪いところでやめる―ツァイガルニク効果の応用
4.スリープ状態をつくる-バックグラウンドで脳を働かせる
5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入る
6.あえて人目につく場所で作業してみる
7.集中できないのはセロトニン不足かもしれない

 前回は5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入る。

 今日は、昨日の続きです。


 脳は人を散漫にさせようとするのに、集中しなければ物事を成就させることができない。

 中野信子先生は、「では、どうすればよいか」とおっしゃっているのでしょうか?

「散漫になりなさいという脳の『警報装置』を作動せる要因をできるだけ排除する」こと。

1.集中を乱す敵を視界から排除
2.いい集中空間を演出する
3.キリが悪いところでやめる―ツァイガルニク効果の応用
4.スリープ状態をつくる-バックグラウンドで脳を働かせる
5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入る
6.あえて人目につく場所で作業してみる
7.集中できないのはセノトリン不足かもしれない

 前回は4.スリープ状態をつくるバックグラウンドで脳を働かせるでした。

 今日は 5.とにかくやり始めると抹消からスイッチが入るです。

 先日、天才一条兼良の代表作に「伊勢物語」注釈と「源氏物語」注釈があると書きました。

 その中でも、一条兼良の合理性が最も出ているのが「伊勢物語」注釈です。「伊勢物語」には、全部で百二十五の短い章段があります。ほとんどが「昔、男ありけり」から始まります。

 その男が女に対して恋の和歌を贈ります。

 一条兼良以前は、「男」は、在原業平であり、女は、章段ごとに「この女は清和天皇の后である二条の后」であり、この団の「女は小野小町」である、などと実名を当てはめた解釈がなされていました。

 しかし、一条兼良はこういう「モデル読み」に公然と反発しました。「女」と書いてあったら、女以上でも女以下でもない。誰でもない。ただの「女」と解釈すべきで、勝手に人命を当てはめるべきではない。大いなるあやまりである。としたのです。この時に、「伊勢物語」の解釈は、大きな転換点を迎えたのでした。つづく

 さて、本文。

 明日から、七十二候 小雪 末候 橘始黄 たちばなはじめてきばむ です。

 橘の実が黄色く色づき始める頃です。常緑樹の橘は永遠の象徴とされています。

 
右近橘 に対する画像結果

 京都御所にある右近橘(うこんのたちばな)です。紫宸殿正面の階段から見て右にある橘の樹です

 左に相対するのが左近桜(さこんのさくら)です。
京都御所 左近の桜 画像 に対する画像結果
 御所にはしばらく行っていないなあ。行きたいなあ。

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