源氏物語120(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十二月一日 弐)

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 先日、天才一条兼良の代表作に「伊勢物語」注釈と「源氏物語」注釈があると書きました。

 その中でも、一条兼良の合理性が最も出ているのが「伊勢物語」注釈です。「伊勢物語」には、全部で百二十五の短い章段があります。ほとんどが「昔、男ありけり」から始まります。

 その男が女に対して恋の和歌を贈ります。

 一条兼良以前は、「男」は、在原業平であり、女は、章段ごとに「この女は清和天皇の后である二条の后」であり、この団の「女は小野小町」である、などと実名を当てはめた解釈がなされていました。

 しかし、一条兼良はこういう「モデル読み」に公然と反発しました。「女」と書いてあったら、女以上でも女以下でもない。誰でもない。ただの「女」と解釈すべきで、勝手に人命を当てはめるべきではない。大いなるあやまりである。としたのです。この時に、「伊勢物語」の解釈は、大きな転換点を迎えたのでした。つづく

 さて、本文。

 明石の入道が、自分の親戚筋の京都 大堰川にある所領にまず明石の君と孫を住まわせ、都に慣れさせたうえで、光源氏の訪れを待つ作戦に出ました。その所領を管理していた家人が、「騒々しいですよ。近くでちょっと普請が始まっていて内大臣(光源氏)がりっぱな御堂を造るとか」

 明石入道は大喜びです。

 大堰川ってどこなんだろう??? 現在の嵐山渡月橋の少し上流あたりだそうです、当時は都から離れた山中でした。

 この知らせはさっそく光源氏にももたらされます。

光「それはよい。さすがは入道どの」 つづく

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このページは、宝徳 健が2020年12月 1日 09:42に書いたブログ記事です。

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