源氏物語121(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十二月十二日)

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 一条兼良の合理性は源氏物語研究にも応用されました。

 伊勢物語に「みやび」という言葉が出てきます。兼良は「みやび」には「みやびやかな雰囲気」と「異性を好きになること」の二通りの意味があって、源氏物語では前者、伊勢物語では後者の意味でつかわれることが多いと指摘しています。

 彼のこの合理性、理論的推論の基礎となるのは、知識です。一条兼良は、万巻の書を読んだ知識人・教養人でした。「十年に一人の逸材」ならごまんといます。「百年に一人の天才」はたまにみます。一条兼良は、「五百年に一人天才」と絶賛されます。菅原道真も「五百年に一人の天才」と言われていますが、一条兼良が生まれた1402年は、菅原道真の五百回忌の年に当たります。

 すごいですね。さて、一条兼良は菅原道真をどう見ていたのでしょうか。 つづく

 さて、本文です。
 しばらくたって、光源氏に明石の君を引き取る準備が整えます。明石の君も「もう逃れられない」と覚悟を決めます。

 明石の君は、生まれ育った海辺には思い入れがあり、それを捨てがたい気持ちでいっぱい。

 父でんある明石入道を明石に残しての再出発です。入道も最愛の娘とわからるので寂しさがいっぱいです。母の尼君は明石の君と一緒に都に行きますが、不安で不安で仕方がありません。夫 入道を遺してきたことも・・・。

 さて、都につきます。つづく

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このページは、宝徳 健が2020年12月12日 06:39に書いたブログ記事です。

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