源氏物語を悪文という人がたくさんいます。あの、森鴎外でさえ。また、倉山満氏のようにあれは藤原道長の時代の宮廷の出来事だと一刀両断にする人がいます。(笑)
源氏物語の魅力がわかっていませんねぇ。それに読んでいないと思います。紫式部の謎かけにも気づいていない。
そんなに悪いものが千年も続くはずがない。
まあ、読みにくいのは事実ですし、人間がたくさんでてくるのでその相関図もなかなか理解できません。私も、五回目(それもいろいろな訳文を読んで)で、はじめてなんとな理解できるようになりました。だから、常に接してないと忘れてしまいます。でも、この「常に接する」ことが「これほど楽しい古典はありません」。
一条兼良は、そんな悪文説に対してこう言います。
「その難解さに戸惑うのではなく、しっかりと見極めようとした瞬間に、源氏物語は「悪文」ではなくなる。悪文だと思う人間は、大きな文脈を把握できないだけだ」と。
確かにそうですね。私も最初読んだときは、「なんでこんなに女の人がたくさん出てくるの?」と誰が誰かが理解できませんでした。でも、ああ、結局桐壺―藤壺―紫の上の中心ラインが大切なんだなあと朧気に理解したときに、読みやすくなりました。まあ、私ごときが言うことではありませんが、とにかく一生 源氏物語を楽しみたい。
さて、本文です。第二十三帖「初音 はつね」です。
光源氏三十六歳。新築間もない六条院(光源氏の家)は、極楽浄土さながらに美しくにぎわっています。梅の香りも吹き乱れてこの世の物とは思えません。女性も優秀な人ばかり。
あの幼かった紫の上も歳を重ねました。
知らなかったのですが「歯固め」という言葉があります。
「齢」の字には「歯」が含まれます。歯は年齢を表すそうです。口の中を喰し、年齢を固める儀式なのだとか。
この六条院で、紫の上が歳を重ねて歯固めを祝っています。
日が傾くと光源氏は、ガールフレンドへの訪れのために装いを凝らします。見事な美しさ。
夫婦仲も良く、紫の上と和歌を交わしたりします。第二十三帖は、こういう幸せな風景が続きます。つづく
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