この日本国は、和国とて、女の治め侍(はべ)るべき国なり。天照大神も女体にて渡らせ給ふ上、神功皇后と申し侍りしは、八幡台菩薩(応神天皇)の御母にて渡らせ給ふぞかし
一条兼良が、日野富子(足利義政の妻)に献呈した「小夜寝覚(さよのねざめ)」という本には、「やはらか」に「なよび」た女性こそが、日本文化の裁量の美徳だと書かれています。
さらにその本では、北条政子(源頼朝の妻:尼将軍)を称賛し、歴代の女帝はいずれも善政を施したと称えています。
応仁の動乱などというわけのわからないことに世の中を投げ込んだ男たちの政治に対しての痛烈な皮肉です。
私たちは、日野富子は応仁の乱を呼び込んだ悪女だと習ってきました。でも、同時代を生きた兼良は、元気物語の「雨夜の品定め」の結論を引用しながら、男であれ女であれ、「正直」で「道理をわきまえた人物が上に立って統治すべきだと考えました。合理主義者である兼良からすれば当然の考え方でしょう。
女性だけをほめたたえているのではなく、女性原理を持った男性であればよいのだ。『源氏物語絵巻』などで描かれている光源氏が、なよなよとした女性的雰囲気を醸し出しているころを考えれば、我が国の統治者は、筋肉ムキムキの大将ではだめなんですね。
歴代天皇陛下はたしかにそうです。これがシラスという国体なのでしょう。
さて、本文です。
明石の君の幼い娘を二条院(光源氏の家)に引き取ると言ったときの紫の上の反応です。
紫の上は、さしたる後ろ盾もなく、光源氏に育てられ、光源氏に頼るしかありません。どう思案を巡らせても選択肢は限られています。一番素敵な女と思われ続けるには、どの道を選べばいいのか、子供は産めそうにないですし、子供を育ててみたいという願望もあったようです。
「どんなにかわいい姫君かしら。私、気に入られると思うわ」
いろいろありながらもこの無邪気な紫の上を光源氏はこの上なく愛しています。
実は、数日前に、明石の君の館に行ったときに、もうこの話はかなりの部分、明石の君とはついていたと思われます。
さて、第十九帖「薄雲」になります。つづく
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