私たちの時代と今の時代で習っている歴史は、どんどんひどくなっています。例えば「任那 みまな(日本府)」を今は、教えません。朝鮮半島の南は日本だったのです。もちろん国家安全保障上の問題です。古代から平和國家だったわが国は、いつもいつも支那大陸と朝鮮半島問題に頭を痛めます。だから安全保障問題に対する正常な感覚を持っていました。今の情けない我が政府とは大違いです。
支那事変という言葉もそうです。今は、日中戦争と教えます。わが國の歴史学会はくるっていますね。当時の支那大陸には政権当事者など不在です。なので、宣戦布告をする相手がいません。だから支那事変が正確な言い方です。だけど、あれを戦争と言わなければ困る支那共産党は「弐中戦争」という言葉を押し付け、そして、それを唯々諾々と歴史学会と政府が受け入れています。
名前などの読み方もそうです。朴正熙は「ボクセイキ」でした。金日正は「きんにちせい」でした。それを支那共産党や朝鮮半島から文句が来て、あちらの発音になってしまいました。私は、普段から正しい発音で読んでいるので、今の呼び方はわかりませんが。
事実は事実できちんとしたことを把握しましょう。太平洋戦争なんて言葉はありませんでした。無理やり呼ばされています。大東亜戦争です。第一次世界大戦なんて呼んでいるのは日本だけです。欧米では「大戦争(Great War」または「世界大戦(World War)」です。当時の日本は「欧州大戦」と呼んでいました。 そろそろ目を覚ましましょう。
白村江の戦いとは、西暦663年、天智天皇の称制二年 秋八月にあった大戦争のことです。
我が國日本と百済の連合軍が、唐と新羅の連合軍と戦って大敗したのです。
称制とは、即位の式を挙げずに政務を摂ることです。
新羅は、百済王がその賢臣 福信という男を斬ったことを知って、直ちに侵入して百済軍の中心地であった土地を奪取する計画を立てました。八月十三日の出来事です。さて、はじまりはじまり~。つづく
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