今日は一条兼良から少し離れます。ただし、テーマのわが国は「やはらかい(やわらかい)」からは、離れません。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、亡くなった伊邪那美命(いざなみのみこと)を助け出しに行ってできなかった黄泉の國から逃れ、川で禊をします。
その時、左目を洗ったときに 天照大神が生まれ、右目を洗ったときに月読命が生まれ、鼻を洗ったときに須佐之男命が生まれます。
つまり、我が国の最高神は、左目を洗ったときに生まれたのです。神話とは、後世の人間への先人の遺言です。
今は、左利きが多くなりましたが、人間の多くは左よりも右のほうが力が強くできています。欧米や支那やアジアでは、左よりも右を重視します。國によっては、左手は不浄とする國さえあります。我が國だけが、左が重視されます。
つまり、祖先は、私たちに、日本は平和国家であれと遺言しました。だから、朝廷では、右大臣よりも左大臣の方が位が上なのです。「やわらなかな國」。政治家にも特に官僚にも学んでほしいですね。
我が國は分け合って余らせてきた和らかな國です。それが立憲主義違反の外国人がつくった日本国憲法「典」で奪い合って足りない国にされてしまいました涙。
さて本文。紫式部にもそういうことを教えてもらいましょうね。
深草の 野辺の櫻し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け
古今和歌集にあるこの名歌を、光源氏が詠んだあと、つづけて、自分の和歌を詠みます。
入日さす みねにたなびく 薄雲は もの思ふ袖に いろやまがへる
西の空に群がる薄雲が自分の喪服の袖と同じ色を映して悲しい。という意味です。この歌からこの帖の名前が「薄雲」になりました。
和歌の意味は、ああ、せつないなあ。人の力の及ぶことなんてこんなにむなしいのか、なんて意味ととらえてください。
この歌に行き着いた光源氏に起きた出来事を紹介していきます。
光源氏の亡妻は、葵の上です。葵上の父は、当時 左大臣でした。先ほど述べましたが、右大臣よりも位が高い。そして、この時点では、太政大臣です。位人臣を極めています。
しかも、この太政大臣は葵の上が亡くなったあともずっと強い味方でした。その太政大臣が亡くなってしまいました。どんな力のある人でも人間は命には逆らえません。その後ろ盾をなくした上に・・・。
なんと、藤壺の院が亡くなってしまいます。源氏物語のキーポーンとは桐壺―藤壺ラインです。次回は、ここを整理してから次に進みましょうね。つづく
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