宗祇(そうぎ 1421年~1502年)の源氏物語観を観ています。
西行は旅に生き、旅に死んだ漂泊の歌僧です。白河の関を越え、欧州を旅しました。なので、芭蕉も
寛文九年(1689年)に奥の細道の旅へと出かけました。
私は八十二歳まで國のために仕事をして、その後は、旅をして暮らすんだ~。この散り方いいですね~。素敵だなあ。
宗祇もまた、諸国を遍歴する一生でした。旅の途中、箱根湯本で客死(かくし)しました。芭蕉の辞世の句が
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
決めた。私もこういう散り方をします。
さて、本文。
冷泉帝は十四歳ですが、年齢よりずっと大人びて政事にもつつがなく当たっていました。
その冷泉帝のことろに母である藤壺の院と親しいある高僧が訪ねてきました。二人が夜通し語り合い、周囲に控えるものがいなくなったときに、今回、帝と話す最重要な目的を話し始めました。
さあ、源氏物語のとても大切な部分です。桐壺-藤壺-紫の上という三人の女性に関わる光源氏。これが源氏物語の軸です。その軸が破壊されそうな話です。
僧「申し上げてはかえって積み深いことになるかもしれませんが、主上(冷泉帝)が知らずにおられると天の怒りの声を受けるかも。しれません。私が胸ひとつ収めたまま命を失ったら、どうしようもありません。そのことを申し上げたくて」
帝「なにごとか。幼いころより分け隔てなく接してきたのに、なにか隠し事でもあると言うのか」
僧「これはこれは。仏が戒めている真言の奥義でさえ主上には隠すことなくお伝えしております。我が心に含むことなどいささかもありません。ただ、これはすでにお亡くなりになられた桐壺の上皇、また藤壺の女院、さらに今を時めく大臣にも関わること。隠しておいてよいものかどうか。私の身はどうなってもかまいません。人気のお告げがあって、あえて申し上げようと決したことでございます」
帝「申すがよい」
僧「かつ女院(藤壺)が深く嘆かれたことがございます。私めに祈祷を願われました。僧侶の身にはくわしくはわかりませんが、今の大臣(光源氏)が都と離れたときも、ずいぶんと女院はおびえておられました。」
帝「早く申せ」
僧「それと言うのは・・・・」
つづく 意地悪ですね。
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