白村江の戦い4(皇紀弐千六百八十一年 令和三年元旦 五)

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 白村江の戦いとは、国家安全保障上の要地 任那をうしない危機にさらされた、日本の古代史に大転換をもたらした戦だったのです。この戦いは子供たちや国民に「國を護ることとは何か(つまり、国家安全保障)」と教えるためには絶対に知らなければならない戦いなのです。なのに、学校では内容も教えません。ひどい学校は白村江の戦いの名前さえも。せいぜい年号ぐらい?

 西暦663年八月十七日 新羅の将軍は百済の中心地 州柔城に到着してこれを包囲しました。
 大唐の軍将、戦船1170艘を率いて白村江に仁劣しました。

二十七日。日本の軍船の先鋒と大唐の軍船とが合戦をしました。日本は負けて退却しました。大唐はさらに陣を堅めて守りました。

二十八日。山本五十六より下手な戦をします。日本の軍と百済の軍がまともな作戦を立てないまま、個々バラバラに攻めていきます。そして、我が國は負け、百済王は高句麗に逃げてしまいました。

 さて、でも、なぜ、日本側はこんなに早く新羅と唐が攻めてくるのが分かったのでしょうか?

 ここに感動の物語があります。つづく

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このページは、宝徳 健が2021年1月 1日 16:15に書いたブログ記事です。

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