白村江の戦い5(皇紀弐千六百八十一年 令和參年壱月六日 參)

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 我が國がなぜ、こんなに早く唐と新羅の連合軍が攻めてくることがわかったか。そこには感動の物語がありました。これも、私たちが子供のことは学校でならったのですがねえ。今の教師は、よほど我が國 日本の素晴らしいことを子供たちに教えたくないみたいです。

大伴部博麻 おおともべのはかま

という名前を忘れてはいけません。
 斉明天皇の七年、大伴部博麻は兵士となり百済を救う戦いのために出征しました。

 でも、そこで、唐の軍隊の捕虜となってしまいました。

 唐には、別に日本から四人の人間が来ていました。その四人が、唐の日本に対する侵略計画を知って、それを何とか朝廷に奏聞(そうもん 報告)したいと思いました。でも、衣服・食料・路銀がないので帰國ができません。

 その時、大伴部博麻が、彼ら四人に言いました。

「私は、君たちと一緒に、日本の朝廷に還りたいと思うが、衣糧がないので一緒に還ることができない、どうか、私を奴隷に売って、君たちの帰国のための費用に充ててくれ」


 世人たちは帰國し、唐の軍略を朝廷に通報することができました。

 大伴部博麻は、一人唐にとどまりました。なん三十年間も奴隷のまま。

 朝廷はその忠誠心に報いました。ありあまるほどの褒章によって。

 かつての日本人とはなんとすごいことか。

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このページは、宝徳 健が2021年1月 6日 09:50に書いたブログ記事です。

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