今日は、昭和天皇陛下のご命日です。昭和六十四年一月七日。
近代我が國を命を懸けて想像してくださった明治大帝が亡くなり、ご病弱な大正天皇(愚かなメディアが言っているような愚鈍な君主ではありません。賢明な君主でいらっしゃました)を補佐し、摂政とあられました。そして、立憲君主という英国よりも素晴らしい國を創ってくださいました。命を懸けて。でも、そんな功績を國民に求めずに、それこを命を懸けて國民を愛してくださいました。
若いころ、ある昭和天皇陛下の逸話を聞きました
陛下が執務を執られていました。侍従が、決済を求めにやってきました。陛下は、「うん」とおっしゃって、黙って玉璽を押しました。膨大な金額がする払い下げの決済です。
執事が、陛下がみられていた辞書に目を向けるとボロボロでした。「陛下、そろそろ、辞書を新しいものに」と進言したら陛下は「金はあるのか」と仰いました。
当時のお金で何億円もするような皇室の土地を払い下げされるときに、何もおっしゃらない。なのの、ご自分の辞書(おそらく当時で数十円)のときには、ご心配なされる。
明治天皇が大日本帝国憲法が制定されたときに、前文をおつくりになります。その内容は「たったひとりの国民でも不幸にしたら、私は腹を切る」というようなものです。
私たちは、こんな天子さまに守られています。
一番素晴らしい國家運営スタイルは王道です。でも、王が我がままをしたらそれは成り立ちません。我が國は、その王道が何千年も続いている奇跡の國です。他國は、王が覇道をしたために、國民が、共産主知・民主主義というおよそ人間社会の一番愚かな選択をしました。実際にフランス人の仲の良い人とと遭うと、王室を捨てたことに今でも後悔しています。
我が国皇室は、その轍を踏まないようにしているのに、女系天皇などという愚かな議論を國民がします。
世界のすべての國が望みながら(失ったのではなく)、そして國民が捨ててしまったこの奇跡の國の在り方を・・・。
くだらない議論をする前に、なぜ、我が國だけが続いたか。ここに目を向けるのが國民の責務です。
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