進まざるを退転という(皇紀弐千六百八十一年 令和參年壱月十日 五)

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 ある大相撲の親方の言葉です。

 いいですね~。

 例えば崩壊させずとも方法があったバブルを崩壊させた「政府(國ではない)」の責任、そして、その後、我が國経済をデフレに導いた日本銀行、増税で経済を疲弊させた財務省(大蔵省)、それをコントロールできない政治・・・。そして、「国民主権」と威張りながら、すぐに人のせいにする「多くの」國民。

 國って、主権者が責任を取るんですよね???????

 國民って責任とっています??? 言うだけ→ゆうだけ→(湯)うだけ。昔、宇佐美の親父さんによく言われました。

 責任取ってないですよね?14歳の女の子が攫われても助ける意志も持たない國民。東西冷戦がなくなったときに北方領土返還を実現せよという声も上げなかった國民。小泉さんが北朝鮮から同邦の一部を取り返した時、(それまでは拉致なんかないと信じていたほとんどの國民が)怒らなかった。同邦を返せ!と。 あの時、金正日は、日本との戦争を覚悟しました。それを報道しないメディア。

 どこが國民主権なんや。責任取らん主権なんかあるか。
 たった一回、戦争に負けたからすべてを失うことを金科玉条のようにする今の日本国憲法「典」と國民。


 さあ、どうしよう。似非平和を満喫しながらゆでガエルになりますか?

 進まざるは退転です。だって、闘ってないもの。真の平和を得るために。

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このページは、宝徳 健が2021年1月10日 10:06に書いたブログ記事です。

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