私の履歴書 22(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月十七日 六)

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 書きましたっけ? 小学校六年生の担任が、私の叔父です。母の妹の旦那さん。はっきり申し上げて、左翼バリバリのこの人が私は嫌いでした。だから、担任と決まった時に目の前が真っ暗になりました。何の目的があって私を自分のクラスに引き入れたのだろう?

 なので、あまり学校での思い出がありません。少年野球が楽しかったことぐらいかなあ。ポジションはいつもキャッチャー。なぜか私はこうです。サッカーをやったらゴールキーパー。

 卒業時に、書道の先生もしていたその担任は、クラスの生徒に「好きな言葉を色紙に書いてあげるから言いなさい」と言いました。



 
 私は「勝利」とお願いの紙に書きました。

 すると、書かれてきた色紙の言葉が「敬愛」でした。「あなたは、もう少し柔らかくなった方がいい」と言われました。別にいいんですが、「なら最初から好きな言葉を言えと言うなよ」ということです。

 まだ、幼かったのですね。私は、その色紙をたたき割って捨てて、家には持った帰りませんでした。少しだけこれを書くのが恥ずかしかったし、少しだけ反省。

 さあ、すさまじい中学校へ進学します。

 あっ、六年生から新聞配達をしました。この理由はまた。

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このページは、宝徳 健が2021年2月17日 07:24に書いたブログ記事です。

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