道元の和歌4(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月十一日 五)

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 慈円の花 ほととぎす 月 雪

を詠んだ國おこし音頭からです。再掲します。

春のやよひの あけぼのに 四方(よも)の山べを 見わたせば 花ざかりかも 白雲の かからぬ峰こそなかりけれ

ほととぎす
花たちばなも にほふなり 軒のあやめも かをるなり ゆふぐれざまの 五月雨に 山時鳥(やまほととぎす) なのりして

秋の初めに なりぬれば 今年も半ば すぎにけり わがよふけ行く 月影の 傾ぶく見るこそ あはれなれ

冬の夜さむの 朝ぼらけ ちぎりし山路に 雪ふかし 心の跡はつかねども おもひやるこそ あはれなれ
 現行の大量歴が明治六年(1873年)に施行される以前、我が國では、ほぼ千二百年間、太陽太陰暦でした。この旧暦と現行歴の間に平均して四十日ほどの偏差があります。

 慈円は、先ほどの歌で、春の景物を桜の花に代表させました。

 弥生(三月)のあけぼのは三月一日を意味して、現行歴で四月十一日ごろにあたります。源平争乱の爪痕が癒えていないとはいえ、帝城である京都の市外からこのころに四周の山々を見渡せば、稜線にかかっているのは霞か雲であってもそれさえ花かと見まがうばかりの光景だったのです。

おしなべて 花のさかりに なりにけり 山の端ごとに かかる白雲

と西行が詠んでいるほど京都の山際は美しいかったのでしょう。この自然を子々孫々に遺し伝えていかなければならないと慈円は「花」で語っています。

 次回は、ほととぎすです

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このページは、宝徳 健が2021年2月11日 15:25に書いたブログ記事です。

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