道元の和歌6(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月十八日 五)

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 このシリーズを書いてよかったなあ。

 おそらく今の我が國の方が幸せです(経済面では)。でも、今の國民の方が傷んでいます。まさに、この歌が求められている時代ですね。それが分かっただけでも心がすっきりします。

 道元の
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

は、慈円の

慈円の花 ほととぎす 月 雪から来ています。

慈円が詠んだ國おこし音頭からです。再掲します。 今回は、この歌のまとめに入ります。なぜ、國おこしなのか。

春のやよひの あけぼのに 四方(よも)の山べを 見わたせば 花ざかりかも 白雲の かからぬ峰こそなかりけれ

ほととぎす
花たちばなも にほふなり 軒のあやめも かをるなり ゆふぐれざまの 五月雨に 山時鳥(やまほととぎす) なのりして

秋の初めに なりぬれば 今年も半ば すぎにけり わがよふけ行く 月影の 傾ぶく見るこそ あはれなれ

冬の夜さむの 朝ぼらけ ちぎりし山路に 雪ふかし 心の跡はつかねども おもひやるこそ あはれなれ
 秋は傾く月が手に月日の過ぎゆくはかなさを思う。冬の明日には「雪よ、さらに降り積もっても、昨日訪ねてきてくれた友の、山路にしるされている足跡は消さない出遅れ」と願う。

 これが、古来の日本人の感性であり情操というものだったのですね。小学校から英語教育とかITとかばかり教えていると今の様な世の中になるのでしょう(この二つを否定しているのでありません。やるならまず歴史と国語だろう!)。と、慈円は、暗に主張しています。

 道元は、幼い日々に祖父母や父母からこの精神を叩き込まれたのでしょう。この慈円の連絡四種の題をためらいもなく並べた和歌が先ほどの歌です。

 この和歌の詞書(ことばがき)には、「本来の面目を詠ず」とあります。人間と自然とが回光返照(えこうへんしょう)を繰り返してきた我が國の根元であると!!!

 次回は、この歌まとめのまとめに入ります。

ああ、生き返った心地です。千八百年前に生きた道元が私の心にやどりました。感謝合掌。

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このページは、宝徳 健が2021年2月18日 07:24に書いたブログ記事です。

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