中学校では本当は野球部に入りたかったのです(サッカー部はなかった)。でも、野球部は悪い人ばかり。軟式テニス部に入りました。
まあ、少し悪かったけど、優しい先輩ばかりでした。結構強いんです。うまいんです。顧問の先生の教え方も抜群なんです。
先輩はみんなイケメン。
中学校一年生の思い出ってなにかなあ。
新聞配達も継続していました。母が貧しい中へそくりで買ってくれたタイプライターを覚えました。なので、私のパソコンはブラインドタッチです。
母は、独身時代英語ができてそして、タイプライターを身に着けていました。だから、それを私に遺したかったのでしょうね。
以前も書きましたが、出光興産株式会社の社運を賭けた事業「イラン石油の輸入」。当時の出光興産はタンカーを一隻も持っていませんでした。当時製油所を持たなかった出光興産㈱は、虎の子の一隻 日章丸がイギリス軍艦に拿捕されると倒産してしまいます。
イランが自国石油を国有化して外貨獲得のために動きますが、イギリスは各國に、圧力をかけて買わせません。独立系であった、出光興産㈱にイランは白羽の矢を立てます。佐三店主は悩みに悩みます。克明な情報収集をしました。勝算ありです。しかし、一中小企業である出光興産には難事業すぎます。
佐三店主は、石清水八幡宮に行きます。そこで弓矢を買いました。「屋は放たれた」。決断をします。
これは長くなるから続きにしますね。なんと、この敗戦後日本の國民の心をゆさぶった事件に我が母が強く関与しているのです。
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