士魂商才第九十六号(令和三年五月号)解説(皇紀弐千六百八十一年 令和三年五月二十五日)

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 大きなテーマはフリーダムですが、このエンデミック下でどういう生き方をするかを示しています。

 おさらいをしています。

  さて、新型コロナウィルスはパンデミックからエンデミックのステージに移りました。

エピデミック:地域的での短期的な感染症の流行

インフォデミック:ネットで噂やデマも含めて大量の情報が氾濫し現実社会に影響を及ぼす現象(感染症の時にはインフォデミックが起こりやすい)

パンデミック:感染症の世界的大流行

エンデミック:そのウイルスが恒常的に社会に存在する時期



 と書きました。例えばオリンピックはどうでしょう。パンデミックとエンデミックでは全く違います。
 パンデミックを制圧して(変異をするから不完全ながらも)、感染者を0にするならオリンピックはしてはなりません。だけど我が國の政治ではそれはできません。いろいろな利権団体に気を遣う輩ばかりだからです。それに文章でしかない名ばかりの日本國憲法「典」が、いかに國家と國民を護ろうとしていない内容だったかは今回の新型コロナウィルス「パンデミック」で分かったでしょう。

 憲法とはその國の文化・文明です。特に我が國は歴史が連続した人間社会の奇跡の國です。他國にはない文化・文明があります。それを文章化したのが憲法「典」です。

 その観点から言えば今の日本國憲法「典」は立憲主義違反です。憲法違反です。ここから議論を始めなければいけません。ところが今の法学部、法曹界、官僚、政治家、すべてが宮澤俊義の憲法「典」学を学んでいます。宮澤俊義というのは国賊です。

 閑話休題。我が國が選択するのがエンデミックならオリンピックは開催です。世界にエンデミック下のオリンピックの姿を見せる必要があります。

 こんな文字の羅列のような憲法「典」でもオリンピックができたという姿を。

 新型コロナウィルスパンデミックについては台湾が大変なことになっています。人は「パンデミック」下でオリンピックをやめなければならないのか。「エンデミック」下で続けるのか。それとも別の選択肢があるのか。

 少なくとも今は、我が國においてはエンデミックと思った方がいい。

 台湾がすごいことになってます。彼らはエンデミックを嫌いました。ひとつの指針になります。。


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このページは、宝徳 健が2021年5月25日 07:29に書いたブログ記事です。

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