私の履歴書 27(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月六日 參)

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 そんなグダグダの明日中学校でしたら友人や一部の先生にはお世話になりました。

 友人で好きだったのはET君、ING君、YMG君です。先輩はテニス部の人はみんな好きだった。特にSNDさん。

 先生ではテニス部の顧問だったAD先生。そして何と言ってもHR先生。この人がいなければ私はどうなっていたかわかりません。
 あるとき、成績が大幅に下落しました。「理科室(HR先生は理科の先生)に来い!」と言われていきました。はっきり言って勉強をなめてました。先生は亡きがら「お前はこんな成績をとる奴ではない」
とコンコンと説教されました。普段の生活態度も。何時間だったかなあ。

 教師の間では私はワルの部類に入っていたそうな。冗談じゃない。こんなまじめな人間を。それに芦谷中学でワルの部類になったら、本当のワルにぶち殺されます。

 そうだ。あるとき、休みの日にテニス(軟式)の練習をしようとしてコートに行ったら、用務員(校務員?)がテニスコートに洗濯物を干していました。それに文句を言うと次の日にテニス部の顧問(AD先生から代わっていた)から偉く怒られました。「スポーツマンは常に謙虚であれ」と。

 HR先生とえらい違いです。

 閑話休題。こちとらそんなに強くない。強くなったのは高校になってから。それでもって怖い怖い生徒がたくさんいる中学校。だけど、武器を持つという発想はなかったなあ。

 なんか、なつかしいや。たこ焼き屋のおばちゃんどうしてるかなあ。

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このページは、宝徳 健が2021年6月 6日 16:38に書いたブログ記事です。

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