私の履歴書 29(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月二十六日 四)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 おっ後、高校時代に入る前に、少し、中学浪人のことを書こうかな。

 北九州予備校 八幡校 高校進学コースというのに入りました。東筑高校に落ちたから。東筑高校したうけていなかったからどうしようもありません。父は、「二次募集に行け」と言いました。

 私の性格なんですかね。①中学時代の解けない問題があるうちに高校に行きたくない(本当にこう思って勉強していました)。②高校に落ちたから二次募集という人に人生を決められる生き方をしたくない。

 などの理由で中学浪人をしました。まだあるのかなあ。北九州予備校。100名もいたんですよ。
 生徒の偏差は大きかったですが、頭の良い奴はすさまじかった。
 まあ、当時の八幡というのは、

 それはそれは悪い地区で、よく朝鮮高校が暴れていました。それを国士舘のやつらがやってきてやっつける。

 九州工業高校には、喧嘩に命を懸けているやつがいっぱいいました。ちなみに、九州工業高校のやつらが乗る電車を「きゅうこうでんしゃ」と言っていました。女子学生は絶対にのらない。

 みはぎの女子高なんて(今あるのかな:字を忘れた)、河原でチェーン振り回して喧嘩していました。

 そのようななか、朝はぎりぎりに起きて予備校に行って、授業を受け。帰ってすぐ夕方まで寝て、夕飯まで寝て、晩飯食って風呂入ったら、2時まで勉強していました。休みの日は何時間勉強したのだろう。月に一度だけ、テニススクールの通いました。亡母が少し身体を動かしなさいと。

 この時期に知ったのは、勉強してもダメなんだ。自らの勉強方法を創り、それを徹底的にやり上げるんだということです。

 全国高校入試問題正解という本があって、それを何度のとき、そしてサブノートを完成させていきました。おかげで3番で福岡県立福岡高等学校に入れました。

 もしもそんな感じでしたが、修猷館高校で模試を出すと90番ぐらい。すごいですね~。

 さて、次回から高校生です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8773

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2021年6月26日 17:39に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語141(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月二十六日 參)」です。

次のブログ記事は「目標250冊(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月二十六日 五)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。