源氏物語139(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月六日 弐)

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 宗祇はこう言います。
「男というものは朝、家を出てから仕事に出かけ、夕方に帰宅するまでの間、職務の公的な場面でも、あるいはプライべートな場面でも、面白くないことや悲しい目に遭ったら、このことを家で妻に話して聞かせれば、心が晴れるのになあ、思うものだ」

 今と同じですね。

 在宅勤務はいいのですが、生活ペースがかみさんになります。「俺は仕事しとるんや」と言おうものなら、「私もだけど、それが何か」となります。

 しかし、宗祇はこれを夫婦関係だけでなく「心の友」にも求めました。雨夜の品定めは深いですね。

 さて、源氏物語本文です。女五の宮のことろに光源氏が行ったとき、女五の宮はいいのですが、とんでもない人がいました。

 「葵」「紅葉賀」で書いたと思います。源典侍(げんのないし)です。

 葵は光源氏の正妻で子も産みます。亡くなってしまいましたが。お父さんは左大臣、お兄さんは大親
友です。

 先に進む前に復習しましょう。

 桐壺帝が譲位し、朱雀帝が即位しました。東宮は後の冷泉帝です。冷泉帝は実は藤壺と光源氏の子供です。

 六条御息所の娘が伊勢神宮の斎宮になりました。

 新斎院のお禊の日、光源氏も行列に加わります。そのお祭りで六条御息所と葵上の牛車が争い六条御息所は散々な目に遭いました。


 プライドを気づ付けられた六条御息所はプライド気づ付けられ怨念を抱きます。

 そして葵上を呪い殺してしまうのです。

 長くなったから、紅葉賀は次。

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このページは、宝徳 健が2021年6月 6日 11:11に書いたブログ記事です。

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