宗祇は、源氏物語に心の友を持ち続けていました。「帚木 ははきぎ」の巻の「雨夜の品定め」は、光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)の二人の貴公子だけではなく左馬頭(ひだりのうまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)の四人です。
前にも述べましたが、最初読んだときはどうしても「雨夜の品定め」の意味が分かりませんでした。
雨夜の品定めで特によくしゃべったのが左馬頭です。宗祇は、左馬頭が別に女の話をしたかったわけではないのだと解説しています。光源氏や頭中将はいずれ中央政界を牛耳る時が来る。その時には、賢人を発掘し、俗人を退け、能吏を適材適所に配置する必要があります。女性を見るという話をしながら本当のところは世の中の人間全般を見る目の大切さを説き聞かせていたのでした。
宗祇は、応仁の乱の混迷の中を生きました。光源氏も頭中将もいない。でも、いつかはきっと平和をもたらせてくれる理想の政治家が出現するだろう。
こう考え、宗祇は源氏物語や伊勢物語の研究にはげみました。
さて、本文です。今日は紅葉賀の振り返りですね。第七帖です。
一の院(桐壺帝の父)の五十歳の祝いの準備に桐壺帝は心を砕いていました、懐妊した藤壺の上の慰みに意味を込めて、本番前に御所で試演をします。光源氏と頭中将も舞いました。光源氏の美しさはこの上なありませんでした。
藤壺は、お産のために実家に戻ります。光源氏は会いに行きますが藤壺は直接は会いません。当然ですよね。光源氏の子ですから。
藤壺は少しおくれましたが無事男の子を生みます。光源氏そっくりです。余計心が乱れます。
桐壺帝はこの子に後ろ盾がないのを心配して藤壺を中宮(皇后)にします。面白くないのは弘徽殿女御(こきでんのにょうご 光源氏の政敵)です。
ここで出てくるのが、桐壺帝に仕える、源典侍(げんのないしのすけ)です。歳は57歳か58歳なのですが色恋好きです。光源氏も遊び半分で一夜を過ごしますが「これはないな」と距離を置きます。
というような話。つづく
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