源氏物語138(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月三日 弐)

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 「帚木」の巻の雨夜の品定めの中に、以下の文章があります。

 必ずしも我が思ふには敵なはねど。見kうつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は、ものまめやかなりと見え、さて、保たれる女のためににも、心憎く推し量らるるなり。

 意味は、この世には、理想の男はいないし、理想の女もいない。だから、相手に理想を求めても、絶望するだけである。自分の希望通りでない妻であっても、彼女と結婚した因縁を大切にして、長く一緒に暮らす夫は、世間からも真面目な男だと一目置かれるし、妻の方も、夫とあれだけ長続きしているからには、何か長所があるのだろうと感じる。
 昔も今も変わりませんね(笑)。宗祇はこの文章にいたく感動しました。

 源氏物語を通じて「この文章は男女の関係を長続きさせる秘訣があるだけでなく、君臣の主従関係や、友人の朋友関係を良好に保っていくと」

 教育勅語に「父母の孝に、兄弟に優に、夫婦相和し、。。。。。」とあります。同じ日本の文化ですね。

  本文。第二十帖「朝顔」でしたね。

 光源氏と朝顔とのやりとりが紫の上に入りました。

「本心はどうなのかしら?」

 紫の上は思います。紫の上は、十分に高い出自であり、光源氏の庇護を受けて妻の立場に有りますが、朝顔の姫君は、他の女と違って身分は十分に高く世評も悪くありません。光源氏が上の空になったり、やたら宿直が多くなったのを「油断がならないわ」と胸騒ぎを覚えます。

 はてさてどうなるやら。

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このページは、宝徳 健が2021年6月 3日 05:57に書いたブログ記事です。

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