「帚木」の巻の雨夜の品定めの中に、以下の文章があります。
必ずしも我が思ふには敵なはねど。見kうつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は、ものまめやかなりと見え、さて、保たれる女のためににも、心憎く推し量らるるなり。
意味は、この世には、理想の男はいないし、理想の女もいない。だから、相手に理想を求めても、絶望するだけである。自分の希望通りでない妻であっても、彼女と結婚した因縁を大切にして、長く一緒に暮らす夫は、世間からも真面目な男だと一目置かれるし、妻の方も、夫とあれだけ長続きしているからには、何か長所があるのだろうと感じる。
昔も今も変わりませんね(笑)。宗祇はこの文章にいたく感動しました。
源氏物語を通じて「この文章は男女の関係を長続きさせる秘訣があるだけでなく、君臣の主従関係や、友人の朋友関係を良好に保っていくと」
教育勅語に「父母の孝に、兄弟に優に、夫婦相和し、。。。。。」とあります。同じ日本の文化ですね。
本文。第二十帖「朝顔」でしたね。
光源氏と朝顔とのやりとりが紫の上に入りました。
「本心はどうなのかしら?」
紫の上は思います。紫の上は、十分に高い出自であり、光源氏の庇護を受けて妻の立場に有りますが、朝顔の姫君は、他の女と違って身分は十分に高く世評も悪くありません。光源氏が上の空になったり、やたら宿直が多くなったのを「油断がならないわ」と胸騒ぎを覚えます。
はてさてどうなるやら。
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