較差と格差(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月二十三日 六月二十四日)

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 久しぶりに読み返したなあ。2018年にこんなブログを書いていたんだ。三月二十六日です。

 司法はこの世で一番偉いのか?立法は私たちの選挙で選ばれます。でも、司法は、歴史も古典も知らないただの知識の試験を合格しただけの人間です。司法には左翼が多い。なぜならば、勉強しさえすればなれるからです。人間性は関係ないからです。この愚かな人間たちが、國を壊そうとしています。そして、最近、安倍さんにやられっぱなしになっていたメディアがここぞとばかりに、嘘を並べています。

 だいたい普段は国民主権といいながら、私たちが選んだ立法が司法にないがしろにされようとしているのに、これに対して黙ってしまっている。これこそ、国民主権をうたった憲法(まったくだめな憲法ですが)に違反しているのではないのか?

 また、醜いメディアが嘘をついています。判決も総務省文章も「較差」と表現されているのに、メディは「格差」としています。つまり「差別」だというメッセージで世論誘導しています。
  「うん、この判決は正しい。格差はあってはいけない」と思っている方がいらっしゃるとしたら、本当に情けないことです。左翼がはびこっている司法やメディアに騙されてはいけません。考え方を改めてください。「誰が正しいかではなく、何が正しいか」です。

 それに私の様な法律の素人でもわかりますが、こんな判決、まったく法的根拠がありません。ロッキード事件で「キリスト教徒は嘘をつかない」と言って田中角栄を有罪にした司法判決と同じです。

 「較差」とは「比較上の差」であって「格の差」ではありません。メディアが「格差」と称するのは、心底に悪意を秘めた意図的誤用か、そうでなければ不見識です。

 繰り返しますが、主権者の国民に選ばれた立法府の判断が、司法府により最終的に否決された事例などこれまでありません。

 じゃあ、聞きますが、相続税や所得税などの課税措置においては、「差別が正義」となっているじゃないですか。資産家や高額所得者は、恐ろしいまでの累進性によって歴然と差別されています。

 ここからは今日の記事(令和三年三月二十四日の記事)
 
 昨日、夫婦別姓制度を認めた判決は否決されました。

 司法とはそれが正しいかどうかを論じる人ではありません。その手続きが正しいかどうかを論じる人です。これを忘れないように。

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このページは、宝徳 健が2021年6月24日 13:04に書いたブログ記事です。

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