区別と差別(皇紀二千六百八十一年 令和三年六月二十三日 弐)

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 これは六年前の皇紀二千六百七十五年三月一日の記事です。六年前ですね。

 数日前、曽野綾子さんが産經新聞に書いた記事があります。当時は繁体字と歴史的仮名遣いで書いていますね(笑)。
 曽野さんは、海外での慈善活動を永く續けてゐらっしゃいます。

 その中で、民族が違ふと生活習慣が違ふので、仕事や慈善活動などは一緒に出来ても、居住区は分けた方がいいと表現されました。

 讀んだとき、何も違和感はありませんでした。實際に、廊下でウンコはする、ゴミや、ウンコ入りのおむつは窓から放り投げるやうな支那人とは、私は同じアパートに住みたくありません。

 高山正之先生によると、黒人は、アパートの一つの部屋に十人も二十人も一緒に住むさうです。なので、水道設備などが壊れてしまい、アパートは黑人だらけになるさうです。

 別に、この支那人や黑人の生活パターンを否定するつもりはありません。その民族の風習があるなら、それはそれでいいでせう。

 さて、この曽野さんの發言に、アメリカあの新聞が食いつきました。「安倍首相のアドバイザーだつた人間が、アパルトヘイトを主張した」と。最近まで奴隷を使つてゐた白人がよく云ふものです。

 それに、なんと朝日新聞が便乘しました。普通、日本人が海外のメディアからやられたら、守るのが日本の言論機關ではありませんか?

 それに曽野さんは安倍さんのアドバイザーなどしたことはありません。

 曽野さんは、堂々としてゐました。「差別と区別は違ふ」と。全面的に大賛成です。

 朝日新聞は相變はらずですね。この新聞は、部数を五十万部も減らしたのだとか。潰れればいい。

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このページは、宝徳 健が2021年6月24日 13:16に書いたブログ記事です。

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