私の履歴書 35(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月二十三日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 福岡県立福岡高等学校(福髙)では、入学したら次の日(?)から1週間、体育館に閉じ込められて校歌や応援歌(いっぱいある)の練習を、応援指導部の基、全員でやります。少しでも声が小さいと「声が小さい!」という応援指導部の人間の怒鳴り声が聞こえてきます。さぼれるなんで雰囲気ではありません。それでみんな福髙が大好きになります。

 閑話休題。とにかく私はインターハイに行くためにテニスばかりしていました。
 一年生のテニス部の思い出はあまりありませんが、三年生が引退してからは私たち一年生が二年生を追い抜き、二年生がみんな辞めていきます。三人遺りましたがやりにくかったと思います。

 二年生はやりにくかったと思います。最後に残ったのがキャプテンの小原さん。結局この方も試合に出ることはありませんでした。でも、最後までクラブに残る姿はとても尊敬に値します。



(親友の篠崎洋三君撮影)
 今はなき、マニュアルラケットです。デカラケの今のテニスと私たちがやっていたテニスは別物です。
 

 やる気は満々ですが、金銭的にはおそまつなクラブでした。ウェアは、先輩たちが部室に置いていったカビだらけのもの。本格的にテニスをやると、ラケットはすぐにおれます。なじみにテニスショップかわの で、付けで分割払い。シューズもそうです。学校からの年間予算は12万円。ボール1年分にもならないから部費を1千円ずつみんなからもらっていました。

 でも、楽しいクラブ。日誌(後輩・私)のこと、ランニング週間のことなどまた書いていきますね。

 今、検索したら まだあるんですね。テニスショップかわの。誰がやっているんだろう。なつかしいなあ。今度、言ってみよう。

 有効な画像がなかったのが残念です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8820

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2021年7月23日 06:12に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「目標250冊(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月二十二日 弐)」です。

次のブログ記事は「源氏物語146(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月二十三日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。