道元の和歌11(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月十六日 四)

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 道元は、仏道を学ぶ人は、後日を待って仏道修行をしようと思ってはならない。ただ、今日今を取り逃がさずに、その日その日、その時を努力すべきである。と言っています。

 ウッとなりますね(笑)。〇〇がうまくいったら△△をしようとか考えますものね。それとか、病気が治ったらこれをしようとか。病気がない人なんていません。昔から。それでも仏道修行を昔の人は、病気にかなわらず行いました。

 道元はこうも言います。人間と言うものは大事件が身に迫ると小事は忘れているものである。仏道こそ大事と思い、この命あるうちに極めつくそうと思って、その日その日、その時を無駄には過ごすまいと思うべきである。

 宇佐美の親父がそうでした。そして言われました「宝徳なあ。いつも同じようにやれ。良い時にたくさん下調子が悪い時にやらないということではだめだ。いつも同じようにやれ」。達人ですね。

 さて、叡山に答えがないことを知った道元は、時々山を下ります。師を求めて諸法を歩きました。
 あるとき園城寺(三井寺 大津市)に公胤 こういん を訪ねた道元は、建仁寺に行って栄西に参じ、入宋 にっそう の道を探ってはどうかと示唆を受けました。

 国家に名を知られた天下に名誉を高くする僧侶になることばかりを目指した比叡山の考えに反発を覚えていた道元は学べば学ぶほど名聞 みょうもん を離れ山林に隠れ悟りを開いた道に憧れました。支那に渡って正法を学びたいと道元は思うようになります。

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このページは、宝徳 健が2021年7月16日 08:43に書いたブログ記事です。

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