西行の歌です。
仏には 桜の花を 奉れ 我が後の世を 人とぶらはば(冥福を祈るのであれば)
さて、第四十帖 「御法 みのり」では、紫の上が四十三歳で逝去します。子供を生まなかったミラ先の上は、明石中宮を養女としています。この子は紫の上の孫にあたります。かわいい孫に紫の上はこういいます(文語で書きます)。
「紅梅と桜の花がきれいに咲いたら仏さまにさしあげてくださいね」
三条西実隆はこれを「明石中宮に頼んだのは、本当は、私の霊前に供えてくださいと言い残したかった。それを仏さまに差し上げてねと言った紫の上の心は奥ゆかしく、すばらしい。西行のこの歌は、紫の上の言葉の本歌取りに違いない。西行は、源氏物語のこの場面を四で心から感動したんだ」
と自著「細流抄」に書いています。
同じように、実隆は、藤原定家やその父俊成が、源氏物語のどの文章に影響を受けたかを鮮明に改札している。まさに、源氏物語がもっている不滅の生命力です。実隆が踏み込み、新しく開拓した領域は源氏物語に対する「卓越した鑑賞」でした。
さて、本文です。中宮が決まるシーンです。
候補は、
いち早く入内した弘徽殿女御、藤壺の女院と光源氏の押す 梅壺女御、紫の上の異母妹も入内して、有力者の推薦も大騒ぎです。いろいろありましたが、梅坪が立后しました。のちの秋好中宮(あきこもぬちゅうぐう)です。 お母さんは、あの六条御息所です。大喜び。
光源氏は太政大臣に、そして、かつての頭中将は、内大臣に昇格します。
さて、仲の良い二人の確執は(笑)。つづく
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