源氏物語144(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月九日 五)

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 尾形乾山の作品には、三条西実隆の和歌がかかれたものがたくさんあるそうです。乾山にとって、室町時代の三条西実隆は、鎌倉時代の藤原定家ぐらにの位置づけだったのですね。

 実隆と定家は、源氏物語解釈の第一人者です。

 貴族社会には家柄の格式があります。

摂家:摂政・関白
清華家(せいがけ):太政大臣
大臣家:大臣になれる 三条西家はこれ
羽林(うりんけ):大納言 四辻善成(彼だけ左大臣になったが)、定家も

 昔の貴族はよく勉強をしました。教養が求められていたのですね。特に、源氏物語ように一代ではなく、世代間の研究をしなければなかなか頂上までたどりつけないものは学問の蓄積が必要なのでしょう。「伝統の承継こそ」、身分秩序を重視する公家社会にふさわしいものはなかったのかも。

  さて、本文。息子 夕霧 の元服に骨を折る光源氏です。大宮がといただしたことに対して光源氏の返事です。
「しばらくは学問をさせます。身分の高い家に生まれた子は、官位も思いのままにえて、その立場にどうしてもおごり高ぶります。みんなにおだてられていい気になっているうちに時代が移り変わり貢献もいなくなってしまうとひどい末路をたどりがちです。本当に國の役に立る人間になるためには、ここでしっかりと学問を身に着けることが大切です。私は自分自身を省みてあえてこの道をとらせることにしました」

 大宮は、それはわかるが、あの子が六位の衣装ではかわいそうだと言います。

 光源氏は、そんなもの学問をすれば恨みにもならないとして、夕霧を二条院に呼び寄せ学問で鍛えます。さて、夕霧はどうするのか。








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このページは、宝徳 健が2021年7月 9日 08:25に書いたブログ記事です。

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