源氏物語143(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月八日 弐)

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 先日の三條西実隆の歌の解説です。

 花の色はすぐに移ろってしまうから、和歌の世界では「あだなる(はかない、移り気である)」ものの典型とされています。でも、この和歌は「あだならぬ」と歌っています。

 「秋の草花は、どの花も自分の色彩を持ち、絢爛と咲き誇っている。その花の色香は、決して一瞬に移ろってしまうような、はかないものではない。ほら、それぞれの野辺の草花に置いた透明な露を見てごらん。白い花に置いた露は白い色に、赤い花に置いた露は赤い色に、美しく染まっている。露こそ「あだなる」ものであって花は自分の本質を変えない、実のあるものだったのだなあ」

 素晴らしい歌ですね。三條西実隆がどんな源氏物語観をするのか楽しみです。

 さて、本文。今日から第二十一帖「少女 おとめ」です。源氏物語は第五十二帖までですから、やっと半分ですね。
 光源氏は、相変わらず、朝顔に懸想しますが、相手にされません。しばらくおくことにしました。

 それよりも、光源氏は、亡くなった正妻 葵の上の息子 夕霧(ゆうぎり)の元服のことで忙しくています。祖母の大宮がことのほかかわいがって育てた美少年です。元服の義も大宮の所で催されました。女性だけではなくかなりのリーダーです。

 この若者の位をどうするか。みんな四位(しい)だろうと噂します。

 光源氏は、夕霧を六位とします。六位は、浅黄色の衣装しか着ることができません。本人も周りもがっかりです。

 祖母の大宮もそんな馬鹿なと光源氏を問い詰めます。さて、その理由は? つづく

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このページは、宝徳 健が2021年7月 8日 08:22に書いたブログ記事です。

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