さて、このSPCとM&Aの事例にはどんなものがあるのでしょうか?
2021年8月アーカイブ
弊社月刊誌 士魂商才第九十九号(八月号)p.24に一言だけ載っていた人物です。かつてのパーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルの話しです。かつてのイギリスの首相。イギリスでは首相は、「戦争に勝てる人」が選ばれます。(1784-1865)
アマゾン画像より
外交というものが、マフィアやヤクザよりも恐ろしいことを紹介しましょう。外交とは、これぐらいシビアでなければならない。「シビィアン・コントロールとは、國と國との付き合いを、外交にするか戦争にするかを決めるのは、文民だ」です。いったん戦争と決まったら、軍は、有事國際法に従ってそれを破らない限りは何をやってもよい(ネガティブリスト)とうのもなのです。
日本の自衛隊はかわいそうですね。「これしかやってはいけない」というポジティブリストです。平和安全法制のとき、野党は「自衛隊員の命が・・・」と叫んでいましたが、それならストにしないと、彼らは自分の身を護ることが出来ません。いまだに軍が警察官職務執行権だけな國は日本だけです。それを官僚も國民もわかっていない。メディアは取り上げようともしない。
このぐらい強気で外交をやらないと、本当に戦争が起きてしまうのです。戦争は、勝てないならやってはいけない。勝てるなら外交でやらなければならないのです。つまり、戦争はやってはいけない。軍とは、戦争をやる手段ではなく、戦争を防ぐ手段です。
今日から七十二候 処暑 次候 天地始粛です。 てんちはじめてさむし と読みます。
秋の気配? まだまだですね。少しずつ秋の気配が・・・、虫の鳴き声が。残暑の厳しい日です。
この頃の和菓子は何かな?
今日は、SPCとM&Aのデメリットですが、まあ、M&Aとのデメリットというより、SPC(特別目的会社)が持つデメリットと申し上げておきます。元々、SPCは、資産の流動化が目的で作成されていました。でも、結構活用の幅が広いのでいろいろなところで使われています。
使わない方は、このデメリットが参入障壁になっているようですが。
写真はすべてアマゾンのサイトです(最終アクセス日2021.08.27)。二回読んだのは二回と数えています。
天皇家は、常に闘いながら何千年と言う歴史を歩んでこられました。常に危機です。今も。ゲーム理論は知っていることが大切ですね。将棋の本はいいなあ。あと、はじめての防衛白書は先日紹介しましたね。(179冊)
この記事の参考出典はこれです。前にも書きましたよね。写真は自撮りです。
今日から細川幽斎です。本名?細川藤孝。昔の武家はたいしたものです。もっとも位が上がればこういう教養が必要なのですね。室町幕府が衰えたあとは、織田信長に仕え、後に、豊臣秀吉にも重用されます。
三條西実隆の孫 実枝に古今伝授を受けて古典学の集大成を図ります。
母親は、儒学者清原宣賢の娘です。まさに、部門と学者の血のなせる業。さあ、幽斎は、どんな源氏物語とのかかわりをするのでしょうか?
さて、本文。
最近、著作権がうるさくて、このブログとか士魂商才に勝手に写真や新聞記事を掲載することができません。気を付けないと。まずは出典を解説します。
今日は、SPCとM&Aのメリットを紹介します。デメリットと事例はまた近いうちに掲載します。
※SPC(special pyrpose company 特別目的会社)
まずは、民事信託はじまりの説。あくまで説ですからその辺の御事情はご勘案ください。
十字軍だという説が強いんですね。十字軍は、長い旅になりますし、もしものことが起こらないとは限りません。自分の財産を仲の良い友人に委託します(欧米では女性にお金を持たせるなというぐらい家計管理が出来ない)。長い旅ですので、旅の間の生活費が困ります。だから、その財産からの受益を家族に渡すというものです。自分にもしものことがあったらこの財産を運用または財産そのものを渡す。契約次第ですね。余程仲の良い人にお願いしなければなりません。
これが、信託のはじまりだと言われています。商事信託と民事信託の話しはまたいつか。
さて、信託の機能です。
えっと、私の記憶では、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、そのため、モスクワ五輪が中止になって、当時絶頂期だった瀬古が涙ながらに開催を訴えていた。山下も出たがっていた。というものがあります。
なんてことを考えていたら、今週の週刊誌新潮 高山正之先生の変見自在は面白いですね(笑)。
高山先生によると、
アフガンはパシュート族で、乱暴だが滅多に外に出ない民だそうです。でも、出たら怖いそうです。
引用示したからいいよね? 最近、著作権がうるさくて、記事の写真も載せることが出来ません。だから、出典、出所、引用の違いをしっかりさせないとね。後で、調べてこのブログに掲載します。
お会いしたことはありませんが、お亡くなりになった(殺された)中村哲氏は、福岡県立福岡高等学校の先輩です。素晴らしい功績を遺されました。
心から哀悼に意を表します。残念で、残念でなりません。
私が述べたいのは中村哲氏のことではありません。私たち國民のことです。4
俗に言うジェンダーフリ―ですね。別に、本人の好みの問題なので、私は、何も言うことはありません。ただし、ひとつだけ、「世の中でマイナリティが「決まりとして」マジョリティになろうとすると世の中はおかしくなる」ということです。
売春禁止法で、売春が地下に潜りました。とても悲惨です。
我が日本人は、本音と建て前の使い方がとても上手です。例えば、戦国時代なんかは、寺では、ほぼ間違いなく、小僧たちはお坊さんとできていました。司馬遼太郎によると、義経もそうだったそうな。でも、義経は、女性と結婚しています。
もうひとつ、区別と差別。
遺言代用信託というのがあります。
信託のプレーヤーは三人でした。
委託者:自分の財産などを一定のお金を払って委託者に運用してもらう
受託者:委託者からの財産などの委託を受けて運用する
受益者:受益者が出した委託者の財産などからでた利益を享受する
遺言代用信託では、委託者が受託者に自分の財産を預け、受託者が運用し、そして、それを受益者に上げるのですが。遺言では、その遺言が決定するまで、誰にも遺産を受け取ったり運用する権利はありません。
四日前の8月20日が誕生日で六十三歳になりました。
特別支給の老齢厚生年金の手続きにも行ってきました。これだけでも結構もらえます。それと、私の知らなかった期間の年金もほんの少し。ありがたいはなしです。65歳になるともっともらえます。かみさんが65歳になるまでの加給年金も65歳になると加算されます。
私が死んだら、遺族年金。なんとまあ、日本は素晴らしい國です。
しめしめと思っていたら、全部かみさんに取られます。私名義の貯金通帳をとられました。私に預けておくと全部取られるから、ですっ涙。ばかやろー。
とにかくあと20年働きます。きちんと生きた価値観を遺す。人生の「目的」です。そして、残りの10年で、旅行して暮らして。10年後の誕生日の前の夜に、みんなに「さよなら」って言って朝起きたら旅立っている。人生の「目標」です。
えっ?いつまで「あと20年って言ってるんだ」って?笑笑 来年も言ってたりして。
健康? 在宅勤務が続いているので、とっても良くなってきました。かみさん、うるさいし。
明日、みなさんに、発送します。巻頭言だけ。
よい本が出ましたね~。実に面白い。
子供向けの防衛白書です。はじめての防衛白書 まるわかり日本の防衛
今日から、七十二候 立秋 末候 蒙霧升降です。 ふかききりまとう と読みます。
桐の立ち込める頃です。霧は地表や水面の近くで水蒸気が非常に細かい水滴となってでてきます。そのような様子から小さな波に見立てて「いさらなみ」とも言いいます。
なんとなくいいですね。
子供たちはこの頃から夏休みの宿題が気になるころ。
続きを読む: 蒙霧升降(皇紀二千六百八十一年 令和三年八月十八日 參)
どれも楽しかった。https://www.amazon.co.jp/ 写真はここからです。
(175冊)
三条西実隆は、子の公条に「古今伝授」を授け、公条も子の実枝にこれをさずけました。公条は、「明星抄」、実枝も「山下水」という、源氏物語鑑賞本があります。
実枝の段階で、三條西家の源氏物語は成熟し、鑑賞力の頂点に立ちました。そして「源氏物語の家元」として、多くの人から仰ぎ見られるのうになりました。
そして、それが、次から語る、細川幽斎に手渡されていきます。
戦国時代も後半に差し掛かります。
さて、本文。
内大臣の嫉妬からですね。
どれも面白かったなあ。すべてアマゾンのショップサイトからの写真です。パンとサーカスだけなかった。真実かどうかよりも事象とどう向き合えばよいかと言う自分自身へのリスク・コミュニケーションです。
夜の宅急便を書いた人
(172冊)
06
何か月か前に「角打ち」のことを書きました。酒屋さんにある、カウンターで飲む方法です。友達とは来ません(笑)。先生と時々会います。
先「(入ってきて)こら!宝徳 なんばしよっとか!なんば飲みよるとか?!」
宝「・・・・・(っぐ)のどが渇いたけん、ジュースば飲み寄ります(嘘です。ほんとうはお酒)」
先「(わかっているけど)そのジュースば飲み終わったらはよ帰りやいよ!」
宝「はい!」
(飲む)
宝「先生、お先に失礼します!」
先「ちょっと待ちやい!もう少しジュースば飲んでいきやい」
こんな会話が繰り返し(小遣いをもらったときぐらいしかいけませんが)行われます。
日本人は、本音と建て前の使い方がとれも上手な民族です。あまりキッチリしてしまうとかえっておかしくなります。20歳にならないとお酒は飲んだらいけないという建前と、大人はわかっているけどそのわかっている大人の目を盗んで(はでではないけど)吞みに行く本音。いいではないですか。
禁止するから飲みすぎてしまう。
売春防止法もそうです。そういうことをしてはいけないという建前に対し、せっかく赤線という本音を創っていたのに、禁止するから地下に潜って悲惨な女性が出来る。それでしか飯を食えない人がたくさんいるのです。
でも、建前では逆らいようがない。こういうことがたくさんあります。PCと言います。ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)。 こんなことのために国会で時間をつくらないでほしい。
閑話休題
世間盆休みかな。私は、結構やることがあって楽しい。この終わるかどうかの瀬戸際っていいですね。
さて、日航機墜落からもう三十六年経ちましたね。昭和60年(1985年)八月十二日。
二つの思い出があります。
ひつとは、坂本九ちゃんが登場していたころ。九ちゃんとは、テニスの本を一緒に造りました。「テニス驚異の上達法」(世界文化社)です。当時日本NO.1だった、福井烈さんが坂本九ちゃんに、テニスを教えているといったストーリーです。柏木由紀子さんともお昼を一緒にしました。昔から九ちゃんファンの私は楽しくて仕方がありませんでした。その九ちゃんが亡くなった時悲しくて仕方ありませんでした。
中古市場でまだあるのですね(笑)。当時は、デカラケではありません。今のテニスとはスポーツの種類が違うのに。
九ちゃん、天国でテニスしている?
あと一つは。
故佐々淳行さんによると、新聞記者というのは三種類いるそうです。猛獣の社会部・半猛獣の政治部・なんとかまともな経済部。だそうです。
荒川静香さんが、冬季オリンピックで金メダルとったとき、日章旗をまとって、ウィニングスケートをしました。NHKはその時の報道をあらかじめ切りました。放映しなかったのです。
そのNHKが、昨日の朝ドラで日章旗が出てきました。どんな意図があるか知りませんが、日章旗の赤いところに字が書いてありました。
最近、常識が広がって日章旗の赤いところに字を書くという恥ずかしいことをする人が少なくなりました。
NHKの意図をうがった目で見ると、「そんなの気にしなくていいよ」を広める国家破壊のシナリオでしょう。だいぶんよくなってきましたが、やはりNHK(日本破壊教会)ですね。
本来なら、国旗に字を書くのは、海外なら国旗侮辱罪です。でも、英霊たちが死にに行くとき、日章旗を一生に死にたいと寄せ書きをしました。「終戦で死ねなかった父の遺品」が我が家にもあります。でも、神様である赤いところには絶対に書きませんでした。命を懸けて國(政府ではない)を護ってくれた英霊たちに失礼です。NHKよ猛省せよ。
父の遺品
今日から、七十二候 立秋 次候 寒蝉鳴です。 ひぐらしなく と読みます。
もう、残暑お見舞いに変わっていますね。
ひぐらしは、ツクツクボウシという説もあります。
セミが鳴いているなあと、思いますが、最近はサッシだからあまりはっきりと聞き取れないのか亞なあ。どちらの鳴き声も何か夏が終わってくる哀愁を漂わせたものでした。
子供のころ、夏休みの宿題を「まだ、夏休みあるからいいや」と考えていた頃ですね。算数や国語は出来るのですが、一番いやだったのは、絵日記と自由研(笑)。これは一朝一夕にはできない。
野山を駆け巡るのも飽きて、友達も田舎に帰ったりして、退屈だった時期。なつかしいなあ。
昭和昭和と連呼されると違和感を感じる年になりました(笑)。
なんか七月と八月の祝日がでたらめになってしまいましたね。やる必要があったのかな? オリンピックはすべきでした。結果が、すべてを。あらわしていますね。
だけど、休日は違う。何人かの國会議員がやったかもしれません。どこかの業界団体が議員を動かしたのかもしれません。
企業でもありますね。こういうのを「気が利きすぎ間が抜ける」と言います。意味もない。利もない。もっと他にすることあるだろう。
昨日から、立秋ですね。 七十二候は、立秋 初候 涼風至です。 すずかぜいたる と読みます。
暑さはたけなわですが、ピークを過ぎると少しずつ秋の気配が感じられます。無私の声が聞こえ始める頃です。昔、アメリカ人に聞いたら秋の虫の声がノイズだそうです(笑)。情緒がないことで。
涼風至は夏から秋への移り変わりが出てくるたった5日間の季節ですね。
さて、立秋のころの和菓子は何かな?
続きを読む: 涼風至(皇紀二千六百八十一年 令和三年八月七日 弐)
国旗侮辱罪です。かなり数は減ってきましたが、体操と一部レスリングでまだありました。
お願いだから日の丸の赤いところに字を書かないでくれ!
命を懸けて國を護ってくれた英霊たちに申し訳が立たない。敗戦後の日教組による不埒な教育とマッカーサーのメモ書きで1週間で作られた 憲法と言う名の文章でしかない、日本國憲法「典」がこんな國にしてしまいました。
こんなのがまだ残っているんです。
これが私の部誌
続きを読む: 私の履歴書37(皇紀二千六百八十一年 令和三年八月三日)
SNSでオリンピック選手の批判がたくさん上がっているそうです。命を懸けて努力している人の批判・非難するならやめろよ。ったく。
今日から、大暑 末候 大雨時行です。 たいうときどきふる と読みます。
急に雨が降ったりする時期ですね。
「雲の峰」「積乱雲」と呼ばれる入道雲です。小さい時大きな入道雲が出てまさに入道の様でした(なんのこっちゃ:(笑))。
でも、暑かったし楽しかった。今のようにパソコンなんてありませんから外で遊ぶしかなった。
すいかの時期。そういえば、今年まだ食べていません。
続きを読む: 大雨時行(皇紀二千六百八十一年 令和三年八月二日)