この記事の参考出典はこれです。前にも書きましたよね。写真は自撮りです。
今日から細川幽斎です。本名?細川藤孝。昔の武家はたいしたものです。もっとも位が上がればこういう教養が必要なのですね。室町幕府が衰えたあとは、織田信長に仕え、後に、豊臣秀吉にも重用されます。
三條西実隆の孫 実枝に古今伝授を受けて古典学の集大成を図ります。
母親は、儒学者清原宣賢の娘です。まさに、部門と学者の血のなせる業。さあ、幽斎は、どんな源氏物語とのかかわりをするのでしょうか?
さて、本文。
とにかく、内大臣(光源氏の親友 昔の頭中将)は、娘と光源氏の息子 夕霧を合わせないようにします。つまり、大宮に面倒を見させていたのを自分の屋敷に呼んだのです。
弘徽殿女御が来ているのでその話し相手だということで。大宮とはいろいろありましたが、それでも一度言ったらほかのことは聞きません。
くれなゐの 涙にふかき 袖の色を あきみどりには いひじほるべき
と夕霧は詠みます。
さて、宮中最大の行事 新嘗祭が近づきます。五節(ごせち)の舞姫が奉仕します。それぞれの公卿の家に選出の割り当てがあります。光源氏は、誰にしようか思案に暮れます。さて、光源氏は誰を選ぶのでしょうか。つづく
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