LGBTとか言う考え方(皇紀二千六百八十一年 令和三年八月二十五日 弐)

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 俗に言うジェンダーフリ―ですね。別に、本人の好みの問題なので、私は、何も言うことはありません。ただし、ひとつだけ、「世の中でマイナリティが「決まりとして」マジョリティになろうとすると世の中はおかしくなる」ということです。

 売春禁止法で、売春が地下に潜りました。とても悲惨です。

 我が日本人は、本音と建て前の使い方がとても上手です。例えば、戦国時代なんかは、寺では、ほぼ間違いなく、小僧たちはお坊さんとできていました。司馬遼太郎によると、義経もそうだったそうな。でも、義経は、女性と結婚しています。

 もうひとつ、区別と差別。

 じゃあ、なぜ、男と女がいるんだ。その意味を考えなくてはなりません。私は、女性が大好きです。変な意味ではなく、きれいだなあと思います。外を歩いていたら、女性と子供を本能的に護ろうとします。男は、自分で自分を護ればいい。

 ジェンダーフリーがマジョリティになって、女が男に女を求めたら、世の中一気に崩れます。役割が違うし、女性の方が圧倒的にかしこい。男は女にかなわない。 

 私は誰を愛でればいいの?素敵な女性を護るために男は自分を鍛えます。勉強します。それぞれの得意技を活かして。そして、世の中を切り開きます。切り開く力は女性より男性の方が強いことを女性は知っているので、男性に「あなたは男でしょう!」と言います。男の女性を護りながら、世の中のたったひとつのミッションを取り上げたら、男は、情けない存在になります。

 差別はいけません。役割を区別する。否定は行けません。大らかに世の中に存在すればいい。平等出るわけがない。公平であるべき。

 こんなことば、最近までなかったけど、LGBTが好きならやればいい。ただし、制度的にマジョリティにしては世の中が崩れます。ジェンダーがLGBTだけを意味するならいい。制度まで意味するなら、それほど危険な存在はない。

 私のたったひとつの女性と子供を愛でるという趣味を奪わないでくれ(笑)。

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このページは、宝徳 健が2021年8月25日 17:55に書いたブログ記事です。

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