えっと、私の記憶では、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、そのため、モスクワ五輪が中止になって、当時絶頂期だった瀬古が涙ながらに開催を訴えていた。山下も出たがっていた。というものがあります。
なんてことを考えていたら、今週の週刊誌新潮 高山正之先生の変見自在は面白いですね(笑)。
高山先生によると、
アフガンはパシュート族で、乱暴だが滅多に外に出ない民だそうです。でも、出たら怖いそうです。
引用示したからいいよね? 最近、著作権がうるさくて、記事の写真も載せることが出来ません。だから、出典、出所、引用の違いをしっかりさせないとね。後で、調べてこのブログに掲載します。
パシュート族のアフガンは、18世紀に西隣のファビ朝イランに出ました。5万の精鋭の護るファビ朝のバム城が落とされて、民は赤ん坊まで目を潰されバムは「盲目の首都」と名付けられました。
インドへも一、二度略奪で出ましたが、それきりで、出不精の民です。
かれらは國の中で勢力が割拠し、それぞれの縄張りで、生活しています。
「少年キム」という小説があります。
面白いからもう一度読みます。絶頂期の大英帝国と海が欲しいロシアの「グレートゲーム」を題材にした本です。ノーベル文学賞を受賞した ジョゼフ・ラドヤード・キップリングという英国人が著者です。soうd
そのグレートゲームの一環として、19世紀半ばに英国軍が入りました。英国軍は難なくカブールに入りますが、日々兵の人数が減ります。斥候も戻りません。アフガン人の闇討ちです。占領は1年も持ちませんでした。英国軍は徹底しますが、わずか150キロ後方の基地に戻りつけたのは1万5千の中の1人でした。それ医師のウイリアム・ブライトンです。ホームズの相方となったワトソンのモデルです。英国軍の真っ赤な制服は、雪の戦場ではアフガニスタン軍の格好の標的となりました。英国は弱りました。
それから約100年。今度は、ソ連が入ります。カブールまで行き着きますが、あとは英国と同じ。兵も装備もどんどん減っていきます。
アフガニスタンに関わるとろくなことがない。
日本人もそうですね。フリー貴社の南條直子さんは、彼らに騙されて地雷原の入って爆死しました。早大生は誘拐されました。中村哲さんは殺されました。
高山先生も、記者時代アフガンで金目当てで殺されかけました。國民総強盗だと言っています。
そして、今度はアメリカ。日本も日米同盟たのために輸送機を出しました。武器もってるのかなあ。
いいとか悪いとかではなく、アフガンをあんなにしたのは欧米やロシアの責任でもあるんだよね。出不精なんだから刺激するなよ。ほっとけばいいって? えっ? テロの温床になるって?
穏健なイスラムを原理主義にしたのは、お前ら欧米がイスラムを追い込んだからだろう。あそこが軍事的空白になっても、関係國以外には、関係ないのでは? その國だけが責任をとれば?
ほっとけよ
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