弊社月刊誌 士魂商才第九十九号(八月号)p.24に一言だけ載っていた人物です。かつてのパーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルの話しです。かつてのイギリスの首相。イギリスでは首相は、「戦争に勝てる人」が選ばれます。(1784-1865)
アマゾン画像より
外交というものが、マフィアやヤクザよりも恐ろしいことを紹介しましょう。外交とは、これぐらいシビアでなければならない。「シビィアン・コントロールとは、國と國との付き合いを、外交にするか戦争にするかを決めるのは、文民だ」です。いったん戦争と決まったら、軍は、有事國際法に従ってそれを破らない限りは何をやってもよい(ネガティブリスト)とうのもなのです。
日本の自衛隊はかわいそうですね。「これしかやってはいけない」というポジティブリストです。平和安全法制のとき、野党は「自衛隊員の命が・・・」と叫んでいましたが、それならストにしないと、彼らは自分の身を護ることが出来ません。いまだに軍が警察官職務執行権だけな國は日本だけです。それを官僚も國民もわかっていない。メディアは取り上げようともしない。
このぐらい強気で外交をやらないと、本当に戦争が起きてしまうのです。戦争は、勝てないならやってはいけない。勝てるなら外交でやらなければならないのです。つまり、戦争はやってはいけない。軍とは、戦争をやる手段ではなく、戦争を防ぐ手段です。
当時のイギリスは大国が3つほど組んでもびくともしない軍事力をもっていました。
「古のローマ市民が『私はローマ市民である』と言えば侮辱を受けずにすんだように、イギリス臣民も、彼がたとえどの地にいようとも、イギリスの全世界を見渡す目と強い腕によって不正と災厄から護られていると確信してよい」
有名な演説です。
アマゾン画像。
に詳しく載ってますので興味がある方はご覧ください。でも、高いですよ。中古市場で3万円ぐらいします。私のコレクションにあります。
私は、この本と倉山満さんのどの本だっけなあ、ことを知りました。倉山さんの本によると。
「1839年。英国領カナダと米国の国境で、英国人スパイが逮捕された。当然、米国の法律に従えば死刑である。ところがパーマストンは釈放を要求する。その時の文句がすごい。
焼くぞ!
もう少し丁寧に紹介すると、「なるほど我々はカナダにはそれほど陸軍はおいていない。しかし、その気になればニューヨークもボストンも灰にできることを君たちはお忘れではないか。」
その後の歴史で「リメンバー○○○」を三回も繰り返した米国世論も沈黙。スパイを無罪放免引渡しをしたとか。
米国人のすごいところは、自分が弱いと思うと、それを自覚した行動が取れるところである。」
です。1850年には、一国民を守るためにギリシャに艦隊を派遣しました。さすがに、当時のビクトリア女王もやりすぎではないかと言います。その時の演説があの言葉です。
翻って我が國。14歳の女の子が北朝鮮にかどわかされても助ける気概もありません。街頭で叫ぶだけです。中村哲さんが、アフガンで殺されても、「あの人は立派な人だった」で終わり、アフガンを恫喝することさえしません。「犯人を引き渡せ!さもなければ軍を派兵するぞ!」と。
これでは、海外になめられて戦争が起きやすい状態を「平和を叫ぶ國民が」自ら創り上げているにすぎません。
明治時代に榎本武揚がロシアに蹂躙された一國民を護るために、ロシアに乗り込み、賠償として千島・樺太交換条約を結ばせたときの隔世の感があります。
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