士魂商才第百号 P16「どうやって乗り切ったのか」の解説です。
GHQ(占領軍:進駐軍ではない)は、戦後WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム すべて悪いのは日本政府である。敗戦前の日本はすべて悪だった)という情報戦を仕掛けてきます。
我が書棚より。
でも、各家庭にラジオがありません。石油業復帰を拒否された出光はラジオを普及させようという政府の事業に乗ります。海軍出身の人間を集めて(別にWGIPに手を貸したわけではない)。結果的にこの事業はうまくいきませんでした。でも、佐三店主の視点が違います。
当時出光は、東南アジアから引き揚げてくる社員の馘首を一切やりませんでした。「最大に資産である人間をなぜきるのか」と。でも、実際は、社員が会社を食わしていたようなもんです。その時に佐三店主はこう言いました(電気事業部が閉鎖のやむなきにいたったとき)。
※出光五十年史より引用
運営型より経営型へ
<電気部閉鎖後の昭和二十四年五月、電気部失敗のあとを顧みるとともに、全社員に対し「運営型」より「経営型」たることを強く求め、本調書を研究するに先立って昨年四月十五日の「運営と経営」及び本年四月十五日の「電気部に教わるもの」を再読されたいとして左記のように店主は述べている>
学生時代から拝金思想に強い反感を抱いていた私は、人物本位(現在は人間尊重)を唱えて、出光商会を創めた。その結果は三十八年間連続して資金に苦しんでおる。しかしながら同時に多数の人材を養成し、人即資本なりとの店是を確立した。そして人が資金をつくり、人が利潤を生んできた。これが出光による事業経営の形である。
現在の出光の社員の大部分は、学校を出てから統制の時代に育ってきたから、国が資金を与え、国が事業をつくり、国が利益を與ことのみ知っている。すなわち事業運営の温室に育ってきた。したがって事業経営の困難を知る機会がなかった。(海軍からきた人々はなおさらのことである)
終戦後の出光の債権に当り、私の第一にやるこことは、運営型の諸君を経営型に鋳なおすことであると思った。
この鋳なおし事業は一大事業である。口先の話などで了解でき高い授業料を覚悟した。そこで難しい話はやめて結論的なことを簡単にいい聞かせた。
一、個人商店の主人の心持ちで働け。
二、三か月目から必ず黒字を出せ。
三、デフレ時代のくることを覚悟して、インフレに酔うな。
四、商品を現金と心得て倉庫帳と現品を一致させよ。
五、売掛をつくるな。
六、結局算用合うて銭足らずになるな。
と結んで折に触れて繰り返した。
ここで諸君はこの報告書を読んで、それぞれの店員のやったこととその結果をくらべてもらいたい。
- 私のいうたことどもを忠実に守った真剣な店員のいた店、すなわち唐津や下関は非常な好成績に終始した。私が一生を捧げて命がけで得た尊い経験を聞き流した連中は取り返しのつかない失敗醜態を演じ、全出光の顔に泥を塗った。
海軍からきた人々は過去の経歴から責めるに値しない。出光の人々の責任である。そして石油部の人々も大部分は電気部と同様運営型である。己惚れるどころか他山の石として大いに磨かねばならぬ。
運営型から経営型に全出光人を鋳なおすには当然の犠牲であり授業料であることを石油部の人も銘記して、全出光人が国民より一歩先に経営型となって国民に示唆を与えてもらたい。
コメントする