源氏物語151(皇紀弐千六百八十一年 令和三年九月二十二日 弐)

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 応仁の乱によって火ぶたが切られた戦国時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑によって一気に収束に向かいます。細川幽斎は、その英傑をささえる武将の一人でした。幽斎とは細川藤孝。息子は忠興(ただおき)です。嫁は玉。すなわち細川ガラシャです。

 ガラシャは言わずと知れた明智光秀の娘です。

 光秀が本能寺の変を起こした時藤孝・忠興の親子は、光秀ではなく、秀吉につきました。関ヶ原の戦い後、忠興は、豊前・豊後四十万石の、そして、その子忠利は、肥後熊本五十四万石の領主となりました。

 つまり、時代は乱世からの脱却です。その時幽斎は、堂々と終わりつつある中世の古典研究をしました。

 昔の武将とはすごいですね。教養がないと人がついてこない。戦国時代は、我が國文化が一気に花開いた時期です。戦いは人を鍛え豊かにします。戦ってはいけませんという教育をする今とは大きな違いですね。

 さて、本文です。
 光源氏は、舞姫に自分の子分 惟光の娘がとても美しいと聞いて、これを召しました。惟光は渋っていましたが、もちろん断ることができません。

 夕霧は、衣装が決まっていない、五節に意気揚々と向かいました。五節の舞姫はどれもみな美麗です。

 惟光の娘は、会えなくなった内大臣の娘 雲居雁ににています。「あの人どうしているのかな」と、歌の文句みたいなことを考えます。そしれ雲居雁に似た惟光の娘に惚れます。

 五節の舞姫は、節会の後、宮仕えをすることになっていましたが、いたんは、家に帰ります。それを知った夕霧は、惟光の娘の弟を知っています。

 弟に、「家のいったん帰るときに一目併せてくれ」と頼みますが断られます。「では、手紙だけでも」と頼んで渡してもらいます。 さて、どうなることやら。

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このページは、宝徳 健が2021年9月22日 14:15に書いたブログ記事です。

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