重陽の節句(皇紀二千六百八十一年 令和三年九月九日)

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 偶数が陰で、奇数が陽。九は陽で一番大きな数字です。それがかさなるから重陽ですね。

 菊の節句とも言われます。今日は、重陽の節句です。
 
 繰り返しこのブログで書いていますが、また、書きますね。五節句です。

一月七日 人日(じんじつ)の節句 七草がゆを食べます。
三月三日 上巳(じょうし)の節句 桃の節句 雛祭りです。
五月五日 端午(たんご)の節句 男の子の節句です。
七月七日 七夕(しちせき)の節句 七夕です。
九月九日 重陽(ちょうよう)の節句 菊の節句

 菊は、我が国 日本の国花です。古来、菊は薬草としても用いられ、延寿の力があるとされてきました。他の花と比べて花期も長いことも知られています。

 おてんば姉ちゃん、清少納言の枕草子には、重用の節句はこう書いてあります。

九月九日は、曉がたより雨少し降りて、菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたるもをかし。(七段)

 「おほひたる綿」とあるのが「菊の被綿(きせわた)」のことです。節日前夜、菊の花に綿をかぶせ、夜露をしみこませる為のもの。この綿で顔や体を拭くと長命を得られる、という俗信があったとのことです。

 菊の露といふのは重宝されてゐたみたいですね。こんなのもあります。藤原雅正という人の逸話です。

 。雅正の隣家には歌人の伊勢が住んでいて、その庭に植わっていた菊の露をお裾分けしてもらおうと、九月八日の夜、雅正は人をつかわしました。翌朝、伊勢から、折り採った菊の花と共に、歌が贈られてきます。

數しらず 君が齢(よはひ)を 延ばへつつ 名だたる宿の 露とならなん

 「名だたるお宅の露となって、限りなく貴方の寿命を延ばしましょう」。
 綿を被せられた菊の身になって詠んだ歌です。雅正の家を「名だたる宿」と言っているのは、彼の父が有名な歌人兼輔であったためでしょう。

 これに対し、雅正は次のような歌を返しました。

露だにも 名だたる宿の 菊ならば 花のあるじや 幾世なるらん

「露だにも」の露は、綿に染み込んだ露と、「少しも」という意味の掛詞になっています。「たとえほんの少しの菊の露でも、名だたるお宅の菊の露なのですから、さぞや長寿の効驗があることでしせう。ましてや、花のご主人様でいらっしゃる貴方は、どれほど長生きされてゐるのでせうか」。

 「名だたる宿」をそのまま、名高い歌人であった伊勢への褒め言葉として返しています。露をもらった感謝と同時に、伊勢の名声・長寿を讃へる挨拶をこめた、巧みな返歌です。若い頃、天皇や貴人たちの寵愛を集めた伊勢も、この頃はかなりの高齢だったのでしょう。

 菊は長寿の藥。菊は皇室の御門。だから、我が國は世界で唯一歴史が連続した人間社會の軌跡の國なんでしょうね~。

 昨日、栗ご飯を食べました。

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このページは、宝徳 健が2021年9月 9日 06:55に書いたブログ記事です。

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