源氏物語152(皇紀弐千六百八十一年 令和三年九月二十二日 弐)

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 源氏物語の通し番号が違っていましたね。すみません。今回で「152」回目です。

 さて、細川幽斎(藤高)です。幽斎は、まさに武人中の文化人でした。藤原定家から始まった中世の古典学の総決算を推し進めました。「集大成=網羅」した上で、「取捨選択」をします。「古今和歌集」「伊勢物語」そして、「源氏物語」。藤原定家以来、営々と蓄積されてきた研究成果を陳腐な説や読み誤りまでかき集めることで、最も妥当な解釈を遺したのです。

 幽斎は、中世と言う時代が生み出した古典文学の解釈を、根こそぎかき集めて積み上げました。新しい時代の古典研究を準備するところまで前進出来ました。

 「この人がもしいなかったら」という人が我が國にはたくさんいます。英雄と偉人です。まさに、一隅を照らすですね。

 さて、本文です。いつの間にか、主人公が光源氏から夕霧に移ろうとしていますね。さすが紫式部です。
 上質な紙に上品な筆を使い、歌を書いて夕霧は、惟光にの息子に頼み込みます。

 弟が見て、姉が見て、戸惑っているといきなり父の惟光が現れます。

惟「なんだ」 弟が逃げ出そうとしたら「誰からだ?」
弟「あの、夕霧が渡してくれって・・・頼まれて」
惟「夕霧?」

 怒りが笑いに代わって。
惟「若君のいたずらか。わるくない。殿は見初めた人を忘れない。私も明石入道のようになろうかな」

 光源氏は見初めた人を忘れません。その子・夕霧も同じ性格かもしれない。ならば(明石の君の父)明石入道のような人間になろうかと惟光は考えます。

 えっ、雲居雁は、どうしたの?笑笑 つづく


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このページは、宝徳 健が2021年10月19日 05:29に書いたブログ記事です。

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