合成の誤謬(皇紀弐千六百八十一年 令和三年十二月二十九日)

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 野球を観に行ったとします。すごく良いシーンになって、もっとよく観たいと思い、立ち上がります。するとみんなが立ち上がって結局は、みんな観えなくなってしまいました。阪神甲子園球場でよくある話です(笑)。

 この様に、個々にとっては良いことでも(ミクロの視点)、全体では、マイナスの効果につながることを「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」と言います。経済学用語です。

 企業でもそうですね。「ああ、苦しい」とリストラしたら、その企業にとっては収支が良くなるかもしれませんが、社会全体でみるととんでもないことになります。

 戦時中は日本石油の縄張り争いに苛められていた出光佐三店主は、国内で調達した資金を海外にどんどんとうししていきました。敗戦後(60歳)、海外に投資した莫大な借金は返ってきません。社員が引き揚げてきます。役員連中はこぞって、社員を馘首することを申し出ました。出光佐三店主は言いました。「企業の最大の資産である人をなぜ辞めさせるのか!」。そして、有名な玉音に拝してを言います。(本文省略)。

一、愚痴を言うな
一、日本三千年の歴史を見直せ
一、今から建設に取り掛かれ

 出光佐三店主は、一企業の経営者というより、いつも國家観という大局を視ていました。

 こんな話もあります。出光石油化学株式会社で、油田の調査をしていました。最後、どうしても油田の大きさが決まりません。当時の油田調査は、試掘を一本植えるのに3億円(40年前)かかります。それを何本も打って油田の大きさを決めます。そして、油田の大きさが決まり、決まったら500億円(40年前)かけて、プラットフォームを創ります。社員では意思決定が困難です(かなりオーナーシップを持っていた当時の出光社員も悩んだ)。

 すると、たまたまそこに出光佐三店主が通りかかりました。「何をしているんだ」と図面をのぞき込み。「ああ、これか」と大きな丸を付けました。「うちがこの仕事に失敗したら我が國のエネルギー政策は変わらざるを得ない。思い切ってやれ」と言いました。合成の誤謬に惑わされること無き、見事な國家かんです。古今東西最高の経営者は出光佐三店主でしょう。
 
 経済もそうです。マクロ経済→ミクロ経済の順番です。マクロ経済を見失うと、結局は、自社を中期的に苦しめる社会を創り上げてしまいます。経営者にとってマクロ経済感覚はなくてはならない素養です(ただし、我が國は、法学部至上主義なのでこれがなかなか)。

 経営もそうです。戦術という現場観(ミクロ)が優先すると戦略(マクロ観)を見失います。そして儲からなくなりブツブツいいます。

 さて、これを今回のオミクロン株に置き換えるとどうなるか? 次回書きます。

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このページは、宝徳 健が2021年12月29日 08:22に書いたブログ記事です。

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