私の履歴書40(皇紀弐千六百八十二年 令和四年一月四日 弐)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 ずいぶんと書いてなかったなあ。私がインターハイ予選でいろいろなプレッシャーから絶不調に陥ってしまった話からでしたね。硬式テニスです。

 フォアがまったくてよいほど打てなくなってしまったのです。
 それでも、なんとか準決勝まで進み、ライバル柳川商業の次に強敵の門司(もんじ)君率いる戸畑高校と対戦しました。そこでは私は敗北しましたが、もう一つのシングルス 中垣君と、ダブルスの埜田君・山口君ペアが勝ってくれてニ対一でインターハイ出場を決めました(柳川商業は前年度全国大会優勝校なので、福岡県からは二校出場できました)。

 苦い苦い思い出です。

 その時の写真です(親友の篠崎洋三くん撮影)




 全国大会は三回戦までです。もう少しやれたのですが、「インターハイ出場」としていたので、気力がうせてしまいました。目標をもっと高く持っていればよかった。

 夏休み明けの一般の九州大会に出ないかと言われましたが、受験の準備もあったのでお断りしました。

 勝つことってほんとうに大変です。自分に勝たなくってはならないですからね。これで私の高校時代は幕を引きました。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8950

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2022年1月 4日 14:54に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「芹乃栄(皇紀弐千六百八十二年 令和四年一月四日)」です。

次のブログ記事は「民事信託:紀州のドンファンの場合(皇紀弐千六百八十二年 令和四年一月四日 参)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。