昨日、1月25日 から、大寒 次候 水沢腹堅 さわみずこおりつめる ですね。
沢に氷が張り詰める頃です。
明治35年の日本ってどんなのだったのでしょうか?
調べてみるとなんとまあ、たくさんの事件があった年です。
八甲田山死の彷徨が1月23日です。
日英同盟が出来たのもこの頃です。
英国は、力を持っていましたが、陰りが出てきた頃です。この時期ボーア戦争をしていました。アジアにまで手を伸ばす力はありません。でも、グレートゲームでアフガンを取り合った、ロシアにだけは、アジアを侵略してほしくありません。そこで日本に目を付けました。まだ、ひよこのような日本ですが、英国としても必死の思いで我が國にすがりました。もちどん、我が國の国力とロシアの国力と言ったら今の、日本と米国の比ではありません。
御前会議で日露開戦が決まった時は、みんな恐怖で涙したそうです。そんな中で、明治の人間たちは、我が國日本を守ってくれました。
そして、外交が凄い。小村寿太郎は、終戦にあたって、ヨーロッパ情勢を読み切り、樺太をとりました。
ロシアは絶対に二方面では争そいません。1905年から始まったロシア革命により、終戦交渉は有利に進むと思った小村寿太郎は、アメリカが調停をするなか、大胆な交渉に臨みます。
石井菊次郎といい、明治の我が國には、たいした外交官がたくさんいました。
七十二候と全然関係ない内容になりましたね。全く関係ないわけではないか(笑)。彼らが護ってくれた日本があるから、まだ七十二候があるのですね。
コメントする