教育現場・医療現場でのゲーム(皇紀弐千六百八十二年 令和四年二月九日)

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 ある人と話しているとゲーム分析とゲームの理論を混同されていらっしゃいました。ゲームの理論は、経済学です。まあ、多分に心理的要素が入っていますが。いつか、ゲームの理論も書きましょう。

 さて、相手から影響を受ける行為をストロークと言います。肯定的なストロークが不足すると、否定的なストロークを求めて非生産的な行動します。これがゲームです。

 ストロークの足りない小学生であれば、物を壊したり、夜遅くまでクズクズと宿題をしたり、投稿拒否をしたり、教師や親を挑発して罰を受けたり、のろまといわれたりしていきます。

 中・高校生になれば、非行に走って、学校や警察に呼び出されたりです。
 
  こうした否定的なストロークを求める習慣が身につくと、大人になっても、それを日常生活の中に持ち込むようになります。

 最近の学校を見ていると、教師が校内暴力に巻き込まれたりすることがありますが、これは、生徒だけではなく、教師も、非自覚的に、ゲームに巻き込まれている恐れがあります。

 子供を持つ、親御さん、学校でのこのような事件を聞かないでしょうか?会社でも同じようなことありますね。

  もう何年前になるのでしょうか。私のあるコンサル現場での出来事です。私もまだ、コンサルしたてのほやほや。ある会社で研修会をやりました。マネジャー研修です。研修終了後、あるひとりのマネジャーがまっさきに私のところに来て「先生、すごく感動しました。明日から私は変わって、やり遂げて見せます」と言いました。ほやほやコンサルの私は、この言葉がとても嬉しくて、期待しました。でも、・・・。
 実際に彼は何もやりませんでした。現場に行って話をしました。何をアドバイスしても、のらりくらり。そうです。

 「はい、でも」ゲームをしかけられたのでした。なんとかしたいと考えた私は、その店舗に集中しました。つまり、ゲームに巻き込まれたのです。他のやる気があるSSに力を注ぐことが出来ないという、生産性向上の低下を招いてしまいました。ゲームはとても恐いのです。

 でも、これは、まだ、軽度のゲームです。ゲームは第1度、第2度、第3度とあります。第1度は、不愉快だけれどもあまり害がないものです。第2度は、いやな感じが数日続いたり、だめだという感じがなかなか抜け切れなかったりします。何とかかしくおおせるなら隠したいと考えることもあります。第3度のゲームは、罪を犯す、アルコール依存になる。自殺をするといったものです。第2度以降のゲームは、私たち素人には、抜け出すことは無理です。ですから、ゲームの種類を知って、そして、ゲームに巻き込まれない自分をつくることが大切なのです。

 さて教育現場のゲームをいくつか。

☆「先生のお気に入り」のゲーム
 たとえば、女生徒が男性教師に好意を抱き、つきまとってご機嫌をとったり、手伝いを買ってでる。教師は理想化され、成績も伸びます。同一化して、その教師の強化を将来自分も専攻するとまで言います。しかし、その教師が他校に転任すると、とたんに勉強意欲を失います。

☆「仲間割れ」のゲーム
 「あなたとT君はどうなっているの?」「彼女はK君といい仲だってうわさよ」といった類の気になる発言をして、男女の仲にトラブルの種を蒔きます。また、仲間同士対立するようなうわさを流したりします。

☆「パパ、やっつけて」のゲーム
 女生徒に多いゲームです。男性教師につきまとって、個人的関心を得ようとしますが、これを負担に感じた教師から冷遇されると、「あの先生は私ばかりいじめる」と両親に訴えます。教師と親のあいだはこじれます。

☆ラポのゲーム
 これは、一般社会でもよく起こります。性的に未成熟な女性が起こします。「男はみんな汚い」と感じている女性が、ものすごく、紳士的な男性を見ると、「あの人もきっと汚い」と勝手に思い、わざと誘惑(ラポ)します。その男性がその気になると、肘鉄を食らわせ「やっぱり男なんて汚い」と感じます。

 これが教育現場になると・・・。大変ですね。

 ゲームは教育現場、医療現場でよく起こります。もちろん会社でも家庭でも。では、次回をお楽しみに。

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このページは、宝徳 健が2022年2月 9日 07:18に書いたブログ記事です。

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