さあ、つかまえたぞ、このやろうゲーム(皇紀弐千六百八十二年 令和四年二月六日 參)

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 精神分析学の言葉に「性格の鎧(よろい)」というものがあります。言い換えると、性格防衛。ゲームはまさに性格防衛なのです。ゲームを起して人を混乱させることで、心の安定(ホメオスタシス)を求めます。

 人は普通、内的な葛藤の解決を特定の症状に訴える結果としてノイローゼになります。しかし、これに対して、症状よりも、その人の全体の性格で反応する人がいるのです。この種の人は、自分が幼児期に獲得した葛藤の解決方法にしがみつき、それを唯一の適応法と考えて、硬く固執して反復する傾向があります。また、それによって、満足を得るのです。その固執している適応法を断念して、新しいやり方で葛藤を解決する方法を学ぼうとしません。

 だから、ゲームをしない、巻き込まれない。どうすればいいかは、少しずつ述べていきます。まずは、しない、巻き込まれないために、ゲームの数ある内容を知ってください。
【さあ、つかまえたぞ、このやろう】

 私がサラリーマン時代、ふたつ向こうの課で毎朝の定例行事がありました。それは、毎朝、その課の課長が、特定の人(同じ人)を1時間くらい怒るのです。  私は、遠くの席から「あの時間もったいないなぁ」といつも思っていました。これは、明らかに「さあ、つかまえたぞ、このやろう」です。職場でゲームが生 じたら、絶対に避けなければなりません。生産性が著しく低下します。ただ、ゲームをしている方が楽なので、毎日毎日、この後味の悪いことを繰り返していま す。

 このゲームは、悪者役を探して徹底的に正義をつらぬくという意味で、ハッスルして攻撃する人が出現します。相手役として「いじめられ役」が必要で す。怒る側は、徹底的に怒ることが正当な理由をもってできます。怒るということによって、自分自身の欠点に直面しなくてすみます。弱みを持つ者にとっては かっこうのゲームです。また、徹底的にいじめられ役をやっつけることで、自分が社会的に自信を持っていきます。また、いじめられ役も、無自覚的に、悪いこ とをして怒られ、そして、自分の存在意義を示そうとします(これは、「うすのろゲーム」といいます)。

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このページは、宝徳 健が2022年2月 6日 07:16に書いたブログ記事です。

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