伊勢物語や源氏物語の研究をした、武将 細川幽斎は、自著「闕疑抄」の中で、物語の誹諧(はいかい)について言及しています。たとえば、伊勢物語 第二十三段の話し。
男が幼馴染の女性との純愛を貫き結婚します。しばらくして、女の家が没落して、他の女に乗り換えようとします。でも、それに耐えて、その女の下に男を送り出そうとする妻の健気さに感動して、彼は妻とよりを戻します。
たまたま、新しい女の家を覗き見たら。女は自ら手にシャモジを持ってご飯の盛り付けをしていました。それを観た男は、新しい女に興ざめしてしまいました。と、いうものです。
この話を「物語の誹諧」と幽斎は言っているのです。誹諧というのは「滑稽な和歌」という意味です。
人間はいかに生きるべきかという理想の政道の探求というシリアスなテーマだけではなく、読者がほっと一息つけるユーモラスな場面も交わっていると考えました。それが「物語の誹諧」です。
源氏物語の中の源典侍(げんのないしのすけ)や末摘花(すえつむはな)などがそうです。変なおばちゃんとあまりきれいでない末摘花をなぜ、登場させたのだろうと。そして末摘花なんかは、時下る源氏が一生自分の屋敷で面倒をみます。二人とも光源氏は関係を持ってしまいます。
私は、ずっと、紫式部はなぜこの2人を登場させたのか不思議でした。あんなにもてる光源氏がと。
私はその不思議さを感じると同時に、どこか「光源氏ざまあみろ」と思っていました。そういうユーモラスな場面は大いに読者の笑いを誘います。
逆に、シリアスな藤壺との道ならぬ恋、お互いに惚れながらどごかギクシャクしている紫の上の夫婦生活。。。。
対照的な誹諧なのですね。
そして、すべては第二帖「帚木 ははきぎ」の雨夜の品定めに起因しているのです。紫式部は天才です。一見、バラバラな源氏物語の五十四帖がすべて一つのコンセプトでつながっているのです。これを知ってから私は初めて本当の雨夜の品定めの目的が明確になりました。
紫式部はそれを解説しているわけではありません。後の読者になぞかけをしているのです。
幽斎はそれを見抜きました。
さて、本文です。二十二帖 「玉鬘」です。
昔の夕顔の侍女、今は、紫の上の侍女の右近は、故夕顔の娘がとても気になっていました。夕顔の乳母が夫の地方赴任にともないこの娘を連れて行きました。とても美しい女性の育ちました。
その夕顔の乳母の夫が亡くなりました。いまわのきわに三人の息子に遺言をします。「この姫君によく使えてくれ。いずれ京にお返ししてくれと言います。
この先の様子が障害ありーの、いろいろな事件がありーのでなかなか複雑なのですが、なんと逃避行中の旅先の宿で右近に偶然に会うのです。そして、右近は、光源氏に引き合わせます。
ところが光源氏は、「末摘花の二の舞じゃないか」とか「夕顔って誰だっけ?」とか考えます。なんちゅうやっちゃ(笑)。つづく
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