私の履歴書48(皇紀二千六百八十二年 令和四年四月二十八日)

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 昨日に続き大親友のA君の話しです。大親友と言いながら、(連絡は取っていましたが)、会うのは先日神戸で二十年以上振りでした。何が起きても、お互いから買い合っても笑って済ませられる感じっていいですね。

 奥様のよく存じ上げています。A君と奥様が新婚の時なんと、3日のA君の家に泊まった経験があります。今考えると、たわけ者です。

 では、大学時代の思いのひとつ。

 私がもう帰宅して時刻は17時ぐらいになっていました。
 すると℡がありました。当時は携帯電話なんてありませんから、公衆電話からです。

A「宝徳、お前に話があるったい。どげんしてでも聞いてもらわないかんちゃん」
寳「(なんかあったのかと思い)どげんしたとや。俺に出来ることやったら何でん言ってんやい!」

A「それを聞いて安心したったい。さすが宝徳たい」
寳「はよ、いわんや」

A「今、兄貴と渋谷の北海で飲みよったい。お前の話ば、したらくさ。お前に会いたいっていいよったい。今から出てこい」
寳「・・・・・・・」

A「よかろう?」
寳「俺は今帰ってきたばっかりたい。(当時は千葉県柏市に住んでいた)それに今から渋谷に行ったとしても、2時間弱はかかるばい。かんべんしょうべんねしょうべんばい」
A「どうしても会いたいて言うとったい」
寳「やけん、別に日にしようや」

A「ふ~、これだけ言ってもわからんね。今日は、おれんち泊まりやい」
寳「そげな話しやないったい」

寳「わかったわかった。今から行くけん、酔っ払いすぎんごと待っときやいよ」
A「さすが、寳德や」
寳「・・・・・・」根負けしました。

 北海と言うのは、澁谷にある炉端焼き屋です。今、検索したけど、もうないですね(笑)。


 行ったら、二人ともベロベロ。お兄さんは、「俺は将来、芥川賞ばとるったい」と言っていました。

 なんと、オープンスペースの炉端焼き屋で、博多の黒田節を歌うのです。大きな声で。

A「こげなとに、付き合ってくれるのは、お前だけったい」
寳「(当たり前や)」

 でも、楽しいかったな~。いつもいつも、集まると夢を語っていた頃でした。実現するとかしないとかは関係ありません。子供のように夢を語っていました。

 この間神戸で飲んだ時にAもこの思い出を覚えていました。

A「あの時は、すまんやったね」

 だってさ。A君の話は、まだまだ続きます。

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このページは、宝徳 健が2022年4月28日 07:22に書いたブログ記事です。

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