今の多数は歴史上の少数(皇紀弐千六百八十二年 令和四年四月二十九日 五)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 士魂商才第百七号(令和四年四月号)の記事からです。民主主義がいかに危険かを書いています。だとしてら何? 共産主義? ノーサンキューです。プーチンみたいな覇道? だめです。本当は王道が一番いいのですが、それを世界で唯一実現したのは我が國 日本の皇室だけです。

 この言葉も何回かこの士魂商才に書きました。なぜ、我が國が世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國なのかを示す言葉です。

民主主義の多数決で誤った多数が誤った政策を選択したとします。そうすると國は大変な苦しみを背負います。今の多数が例えば7,000万人いたとしても、我が國のように世界で唯一歴史が連続した國では、三千年をはるかに超すので、7,000万人÷3000年で、たった23,333人しかいません。圧倒的な少数です。

 

 また、例えば今、漢字の伝来があったとします。民主主義の多数決で、漢字を採用しようとなりました。あんな時世も感情もない言葉を入れてしまったら大変なことになります(今の、支那語の8割は日本人が創ってあげている)。

 

皇室は、漢字が伝来して500年以上使いませんでした。万葉仮名が出来るまで。

 

例えば、皇室の後継者問題。あれは、國民が口を出すことではありません。完全に憲法違反です(憲法典違反とは違う:後述)

 その國の歴史、文化・文明、理念、在り方(つまり國体)を示したものが憲法です。それを文章化したのが、憲法「典」です。となると、今の日本國憲法「典」は、完全に憲法違反なのです。我が國の歴史も文化・文明も理念もあり方も全くと言っていいほど表していません。憲法「典」改正はここから議論を始めなければなにもなりません。公明党が言う加憲など、へそが茶を沸かします。自民党の憲法典草案もいろいろな勢力に気遣ったものになっています。かつてあったフリーダム(不易流行)が消し飛んでしまっています。これでは國を護れない。そして、日本國憲法「典」事態が国体を破壊する狂気になっています。今回の「ロシアによる一方的なウクライナに対する侵略と虐殺」(宣戦布告がないので國際法上戦争ではない)を観てそれを我が國に置き換えたら火を見るより明らかです。私はプーチンの國際法違反の一般市民虐殺を絶対に許しません。

 

 我が國の國体を表すなら、皇室の後継者問題を示す皇室典範は今の様に憲法「典」の下にあってはいけません。

 

 敗戦前は、我が國は憲典体制でした(憲法典と皇室典範が同列)。大日本帝国憲法は、実質 天才 井上毅が我が國の歴史を勉強に勉強を重ねて草案を作成しました。素晴らしい憲法典です。ただし、その運用が悪かった。國民が愚かだったからです。

 

私は高校時代イギリスが「不文憲法」ということを聞いて、何のことかさっぱりわかりませんでした。今ならはっきりとわかります。運用に重きを置いているのですね。イギリスはあまり好きな國ではありませんが(笑)、たくさんの血を吸いながらやっとの想いで作り上げた国なので、時々の人間の考え方(今の多数は歴史上の少数)ではなく、運用にしっかりと重きが置かれた國づくりになっています。本もたくさん出ています。

 

 メディアよ。「次の天皇は誰がいいですか」などという國体を破壊する狂気のようなアンケートを取るな。これをリベラルと言います。皇室の跡継ぎ問題は、皇室に任せろ! 

今は、多くの國民が、リベラルに騙される時代になっています。世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國 我が國 日本を破壊する狂気を私たちは潰さなければなりません。

 

 それとも國がつぶれて、ロシア兵や支那兵に愛する人が蹂躙される方を選びますか?それが絵空事ではないことは、今回の「ロシアによる一方的なウクライナに対する侵略と虐殺」ではっきりとわかったことです。

 

「今の多数は歴史上の少数である」とは、フリーダム(不易流行)のたった一つの事実であり、真実であり、真理です。民主主義は危険です。だけど、民主主義が好きならしっかりと事実と真実と真理を國民が学ぶことが何よりも大切です。「日本はこれからどうなるのでしょう」と言う質問をよく受けます。他人事ではなく自分事です。

何が言いたいか。我が國企業の経営もこの中にあります。

 

 利害関係者の誰を幸せにするのか。お客様、取引先、社員、金融機関などなど。そして、その幸せをどれだけ永く継続するかが「経営(フリーダム:不易流行)」です。一時期にそれを実現するとではありません。

 

 その時点でもし、利害関係者を幸せにしていたとしても、それはもしかしたら「流行」でしかないのかも知れません。それがたとえ「今の多数」であったとしても。

 


 今の多数があった時に、それが正しいかどうかの判断基準は、理念です。コンセプトです。企業の幾多の艱難辛苦を乗り越えた歴史です。

 

 その理念や歴史などを捨ててリベラルになるなら、会社を作り

替えるか社名を変えた方がいい。それは、Z世代であろうが、

第何世代であろうが同じです。

 

 國にも企業にも不易流行(フリーダム)が絶対に必要です。

 

 その中心になるのが「働く」という私たちの行為です。遊べでは人間は成長しません。不合理・不都合・不条理・鬱陶しさを乗り越えることしか人間は成長できません。

 

 不合理・不都合・不条理・鬱陶しさを日本で一番乗り越えていらっしゃる方は、天皇陛下です。「私」の考え方が一切ありません。

 私たち日本人は、今、史上最悪のリベラル國家になっています。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9080

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2022年4月29日 14:02に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「私の履歴書49(皇紀弐千六百八十二年 令和四年四月二十九日 四)」です。

次のブログ記事は「私の履歴書50(皇紀二千六百八十二年 令和四年五月一日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。