大学一年生の頃は、あまりお金がなかったのでバイトに明け暮れていました。テニスのコーチとか家庭教師をかけもちして裕福になったのは、二年生からです。
高田馬場のたちんぼう(ご存知ですか?)にも行きましたが、選ぶ方は当然、若くて力のある私たちを選びます。すると、年配の労働者の方であぶれるかたがでます。いくら私が貧しいと言っても飯は食えます。でも、この方々はその日飯代がかかっています。選ばれるとかなり恨まれます。なのでニ、三回で行くのをやめました。
長期の倍とは家庭教師とテニスのコーチです。でも、それが多くなかった時は、短期バイトをしていました。交通量調査員(今の学生はこんなバイトするのかな:笑笑)。24時間やって12,000円でした。
それとか、ヤマザキの徹夜のパン作り。ひなまつりや子供の日に行くと流れ作業で菱餅や柏餅などをつくります。お菓子作りがこんなに厳しいとは思いませんでした。まず、消毒用のアルコールを出入りするために頭からふんだんに浴びます。
18時~朝の6時まで、12時間で3回ぐらいしか休めません。立ちっぱなしです。まあ、楽しかったけど(笑)。
3回の休み時間にパンが出ますが、全部菓子パンです。それもあまりものや、売りに出せない欠陥商品。口の中が甘くなるからそんなに食えたものではありません。弁当かせめて調理パンぐらい出せよ。と、思いましたが、当時の学生は使い捨てです。
他にもいろいろやったなあ。親?「バイトに行ってくる」しか言いません。父と母も「ふ~ん」という程度。姉と妹は怒っていました。「(私だけは)どこに行くときも文句を言わない」。当然です。男の子です。
でも、それらのバイトから帰って来た時に面白おかしく話をするので母はいつもニコニコして聞いてくれました。「あのくさ、たちんぼうのバイトはくさ。飯がいっぱい出ると」「ヤマザキで浴びせられるアルコールはたまらんめいが。やおいかん」「交通量調査員は座れるけん楽ばってん、ねむいったい」とかごか。
昔はしんどいしごとも学生の十八番でした。もう今はやらないですよ。コンビニとかあるし。
そういえば、田舎者の私も、二年生になるころにはバイトのコツをつかんできました。
銀行や駅掲示板に「家庭教師希望。慶應義塾大学 宝徳 電話番号」と書くと結構来ました。
まったく話が変わりますが、駅の掲示板で思い出があります。女の子と待ち合わせをしている時に彼女となかなか会えない切ない時があります。とうとう会えずに「〇〇時まで待ちました。宝徳」と書いて帰ります。携帯のない時代です。待ち合わせ場所を言い間違えたり聞き間違えたり勘違いした時はたくさんありました。
勘違いは、例えば、慶應義塾大学三田キャンパスに大きな銀杏の木があって、みんなは「おおいちょう」と呼んでいました。
「〇〇時に、おおいちょうで待ち合わせしない」と女の子に言われて、田舎者の私はJR大井町(当時はまだ国鉄?)に行ったら会えませんでした涙。
ぜんぜん落ちになっていない。何が言いたいか。そういうアナログの切なさも良い思い出になるものです。これを多様性と言うのか。
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