世界陸上の日本選手の活躍がすごいですね。敗戦前の日本は、陸上でもすごかったんです。特にフィールド競技が。
その後、低迷の時代が続き、マラソンは復活した物の、全体的にあまりわくわくはしませんでした。北口選手のやりなげ三位、100mのケンブリッジ選手の決勝進出、4×400メートルの二位での決勝進出、中距離の田中希実選手活躍(これが一番信じられない)、服部真子、青木益未の決勝進出。何より、アスリートは美しい。観ていてほれぼれします。
さて、私が高校時代にあんなに打ち込んだテニスを大学に入って負けてしまったのはなぜだったのか。
恥をさらすようですが、田舎の公立高校で部長も監督もコーチもいない高校時代のテニス部を率いてインターハイには出場しましたが、自分の弱さから精も根も尽き果ててしまいました。
スポーツはやはり適切な指導者の下で育った方がいい。特に若い内は。体力では誰にも負けないぐらい自分を鍛えましたが、チームの運営となると自分だけではとても出来るものではありません。
これがあの時の私の限界でした。少し恥ずかしいですが。
また、インターハイでべしスト8以上に行ったらプロになることも考えましたが、とても、そんなレベルではありませんでした。
大学時代はコーチングの勉強はしましたが、本格的にテニスの試合に出つづけることはもうしませんでした。
今、考えると自分の弱さに忸怩たる思いです。意地だけで予選を突破しただけのような気がします。
それでも、良い仲間に恵まれ、年間12万円しか予算がない福岡県立福岡高等学校で必死に生きたことは今でも誇りに思っています。
でも大学に入ってからは少し情けなかったよなあ。今回は、反省も込めて。
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