安倍晋三暗殺に思う②:日本國憲法「典」三原則(皇紀弐千六百八十二年 令和四年七月九日 弐)

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 これも書くと、「この人何を書いているの?」と思われがちです。そう思った人は、メディアや左翼リベラルに洗脳されていると思ってください。


 明治末期、天才、井上毅がいました。

        弊社蔵書より
 
 かれが、我が國に眠っていた固有の國体(皇室だけが護ってきた)を見つけたのです。

 大日本帝国憲法を創案するとき、井上毅(こわし)は、徹底的に我が國歴史を研究し]「ます。

 そして、シラスという国体を創りました。欧米をはじめとした他国の國家の作り方は、「ウシハク」と言います。民も国土も、支配するやり方です。支配者の所有物になります。

 我が國は、シラスです。「知らす」「治らす」です。つまり、天皇k陛下は支配するのではなく、民を「おうみたから」として、愛し抜きました。所有物にするのではなく、公地公民にしました。

 それが人類ではありえない 歴史が唯一連続した人間社会の奇跡の國を創りました。

 これが、世界で唯一の我が國國体「シラス」です。つまり、憲法です。井上毅は偉人ではなく我が國の英雄です。彼がいなければ、大日本帝国憲法と教育勅語はできませんでした。

 つまり、その國の在り方を示したのが憲法です。それを「言葉」にしたのが憲法「典」です。

 なので、井上毅草案の大日本帝国憲法第一条は、

大日本帝国は万世一系の天皇の治(しら)すところなり

としました。ところが憲法条文には相応しくないと、伊藤博文が

大日本帝国は万世一系の天のが之を統治す

としました。憲法と憲法「典」が同じ意味となります。

 憲法「典」改正論議は、ここからスタートしなければなりません。
  だって、日本国憲法「典」自身が完全に憲法違反なのですから。

本当は怖ろしい日本国憲法

 さて、どの条文ではなく、その日本国憲法「典」の間違った理念です。

国民主権:政府や國家を転覆してより権利
基本的人権の尊重:人を殺してよい権利(さすがにこれは行きすぎなので國家が制限をかける)
平和主義:自分だけ平和であればそれでいい。

 今回の安倍さん暗殺ではどうですか?

 海外では我が國は、平和な國だという評価を受けています。それが、一気に揺らぎました。テロです。國民主権です。民主主義と言うのは、國民がしっかりしないと、本当にあぶない。今回、いろいろな方から連絡をいただきました。「日本は、どうなるのですか?」と、本当の主権者なら「日本をこうしなければならない」と言わないといけない。どこか第三者です。 それに今日の新聞を読んでいても「この國」という表現ばかりです。「我が國」です。この國は当事者の表現ではありません。司馬遼太郎もよく使いますよね。「この國」と。

 民主主義が当たり前というのは、PC(政治的妥当性:こう言わないと許さないからなという表現)です。本当にそうでしょうか?

 國民主権と言うのは、フランス革命という暴挙から出てきている言葉です。だから、彼らは、民主主義を標榜しながら、未だに、「デモ」という「テロ」で政策を変えさせようとします。自分たちが選挙で選んだ人を否定します。

 おっと、長くなりましたね。安倍晋三暗殺③に続きます。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2022年7月 9日 12:13に書いたブログ記事です。

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