安倍晋三暗殺後の日本に思う③:日本國憲法「典」三原則(皇紀弐千六百八十二年 令和四年七月九日 參)

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 PC(政治的妥当性:絶対逆らうことを許さない全体主義)での危険な国民主権や民主主義を私たちはよく考えてみる必要があります。それでもそれがいいと思うなら支持すればいい。

 でも、何も考えずに左翼リベラルやメディアのPC従いそれが正しいと判断することは、脳力開発(能力ではない)に於いて危険すぎます。

 国民主権は、ギロチンで人を殺しまくったフランス革命の思想です。最初、フランス人はルイ16世を殺そうなんて思っていませんでした。流れでそうなってしまったほど、国民主権に何も考えずに従うのは危険です。

 一番良いのはウシハク(支配)の覇道(特にロシア・北朝鮮・支那であるように)、ではなく王道(我が國日本の皇室でしか成功しませんでした)です。だから唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國だったのです。公地公民だったのです。

 さて、二番目基本的人権の尊重です。これも真実を話すと、「宝徳、お前は何を言っているんだ」と言われそうです。人を殺していい権利です。今回の暗殺犯を見てもわかりますよね。半ぐれ集団をみてもわかりますよね。最近の、素人の若者の武器を持ち多人数で一人を殺すやり方を見てもわかりますよね。あれは、かつての連合赤軍、日本赤軍、中核・革マルのリンチと一緒です(赤軍や中核・革マルはまた今度)。

 さすがに殺すのはダメだろうと、法律で規制していますが、何割かの國民には、この基本的人権の尊重の意味で行動しています。
 私たちの小さい頃(というかかなり大きくなるまで)は、家に鍵をかけていませんでした(夜も)。開けっ放しで買い物に行っていました。庭で行水をしていました。

 となりのおばちゃんにしょっちゅう怒られていました。でも、回覧板を持って行ったりすると、お菓子をくれたりしていました。家に誰もいないときは、ちゃんと、おばちゃんは自分の家に入れてくれて、おやつやご飯を食べさせてくれていました。

 よしんば何かの事情で人を殺したりしても、それが良いことと考える人など、誰もいませんでした。

 私が、小さいとき、母とバスに乗ろうと、列に並んでいました。列に並んでいた人が言いました。「お前それでも日本人か!」と。

 私はいくつだっただろう。三歳ぐらいかな。三歳の想い出などほとんどありません。その思い出がない中で、この思い出だけは鮮明に覚えています。「日本人って、すごいんだ!」という思い出を。

 基本的人権の尊重。そんな主義が必要な國ではなかったのです。現に、大日本帝国憲法「典」には、「人権」という表現が全くない稀有な憲法「典」でした。明治の男たちの欧米に対する挑戦です。「欧米のみなさん。みなさんが大切にしている『人権』なんでいう言葉は、我が國には不要なのです。我が國は、太古の昔から君民いったいとなって國を創り上げた國ですから『人権』なんて言葉は不要なんです」と。今の、國民の何割がこれを知っていますか?おそらくほんの少数です。左翼リベラルよ、こういう少数を大切にするのが真の少数派なんだよ。

 我が國國体と、憲法「典」が合致していたからです。 では、なぜ、大日本帝国憲法下で、敗戦したのか。政治家、メディア、官僚、國民の運用が悪かったからです。それを、大日本帝国憲法の責任にしています。自分たちが悪いという自覚がない。ここに一番の問題があります。

 次回は、平和主義の愚かさです。

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このページは、宝徳 健が2022年7月10日 04:49に書いたブログ記事です。

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